2017年12月13日
賢者のレンズを寄せ集める
今日だって、カフェから駐車場まで歩くときはすごく寒かった。そうして十分か二十分か運転して、アパートの駐車場へ来る。そっと覚悟を決めてドアを開けると、なんと、心なしか寒さがぬるんでいるのを感じたのです。
空。空は曇天の灰色。分厚い雲が、空の蓋のようにずっしりと覆いかぶさっていた。さっきまで吹いていた風が止んで、大気は地面と雲との間に閉じ込められ、そこではまるで温室のように、昼のあいだに注がれた太陽のエネルギーが、大気の中に囲いこまれていた訳です。それは、僅かな温かさとなって、私の心をはっとさせました。私は天の作る大きな家の、中にいたのです。
簡単な気象学の知識が、私を天と太陽と、そして地面の広がりに結び付ける。そうして私は、私とこの世界の新しいつながりを見る。気象学、鉱物学、天文学、植物学。昔の賢者たちは、そういう学問を使って、我とこの世界との距離を測った。それはきっと、世界を生まれた時とは違う様相で見せてくれる、魔力をもったレンズだったのでしょう。この世界に隠された宝石を探し求めるために、私はそんなレンズをいくつも集めていきたい。そう、本当にそれが、大事なことなのです。
マコ
2017年12月9日
雪のかがやき
それはまだ、私たちがうんと小さかった頃のことです。お父さんの発案で、隣街の高い山へ車で行って見ることにしたのです。季節はちょうど今くらい。私たちの街からも、その高い山は天気の良い日は見えました。もう、冬のことで、そのときその山は白く色づいていました。父は私たちに、一足早く雪の世界を見せたかったのだと思います。私たち家族はーお父さんとお母さん、それにリコと私はー完全な冬支度を整えて、車にはチェーンを巻いて、山へ出かけました。
その頃はまだ、雪が沢山降りました。北の海の街らしく、雲はどっさり雪を運んできてくれたのです。山の中腹の公園へ降りると、もう腰まで雪に埋もれてしまう。落葉しきった木々の姿は、魔女の細い指先か焼き芋のあとの細いけむりの幾筋かのように見えて、そこへ一つ、一つ、丸い雪のお団子を誰かが置いていったみたいに見えました。雪のうえに、小さな動物の足あとが、森の奥深くまで続いていて、私たちはリス、とかネコ。それかキツネと話し合ったのでした。そこでお父さんとお母さんはコーヒーを飲んだり、私たちはココアを飲んだり、脚のつまさきが少ししびれてくるまで、雪の世界の中で静かな空気を吸い込んだり吐き出したりしていたのでしたね。
それはまるで、きらきら輝く雪の夢。今だってなつかしく思い出すことが出来るのです。さて、ご飯をつくって暖かくして、今日も夢の世界へいくことにします。またね。
マコ
2017年12月7日
傘をかしげて
雨傘を かしげてよける 女学生
この街の冬は一歩一歩近づいて、最近ではときどき霙も降るような空模様。今日も冷たい雨がしと、しと、とふっていました。朝、私が車を運転していると、高校生の女の子が、左手には電柱、右手には停車中の車で、立ち往生していたのです。そうして、女の子はそっと傘を電柱も自動車もない空間に傾けて、そこを通り抜けていったのです。その手首のなめらさか、楚々とした感じがとてもよかったので、後で思い出して一句作ってみたのです。
それをトモコさんに言ってみたら、でも季語が雨傘だと、梅雨じゃない?との評語。ああそうか、と私は気づいて冬の歌を作ろうとしてみました。
雨寒し 傘をかしげる 女学生
なんだかこれじゃ、動きがなくてつまらない。じゃあこれは?
寒空に 傘差しあげて 渡る人
なんだか説明しすぎてつまらない。
私はこのあと、三つ、四つの歌をひねってみたのですが、やっぱり最初のが一番いい気がしました。季語はありませんけれど。大昔の貴族たちは、「曲水の宴」(リコは知っているでしょう。庭に配された川のほとりに各々が場所をかまえて、流れてくる盃が自分の前にやってくるまでに歌を詠むという遊び)でこんな風に悩んだのでしょうか。貴族たちの気持ちが、少し分かったような一日でした。
それじゃあ、暖かくして、風邪には気をつけて。
マコ
2017年12月3日
空の変わりやすさについて
リコへ手紙を書くことは、日常とは違う、もう一つのコミュニティ(つまり私とリコの姉妹っていう)を持つということなのです。例えば日常がダメな日でも、もう一つのコミュニティがあるという具合に、それは私にとって良い効果をもたらすのです。リコへ手紙を書くことによって、書いている私自身が癒されていると言えるのでしょう。
そうそう。最近思うことがありました。それは空の変わりやすさについて。神様は人間と鉱物と植物に、重力という足かせを課した。だから私たちは、地表面の狭いところ、人間なら海抜3メートルくらいまで、植物でも海抜15メートルくらいまでの層にちじかまっているのです。それと比べると、空の高さは何千倍もある。もし人間の目を離れるとしたら、世界の中心は地上にではなく、空の中心点にあるといってもいいでしょう。そして空は、重力からほとんど自由になった、気体と水蒸気の世界。気体と水蒸気が一日のうちに様相をがらりと変えてしまうことはあっても、液体と固体で出来た私たち人間が、一日の内に様相をがらりと変えるということはない。私たちが全く変態してしまうまでには、何十年とかかる。それが空では一瞬のうちに行われる。鳥のつばさのように広がった雲。霞みがかった雲。遠くで雨を降り注いで、地表にもたれ掛かって来る雲。雨。あられ。霧。虹。それに地球の自転という運動によって、空は一日の間に朝日から昼、昼から夕日へと移ろっていく。だから、空をみていると飽きるということがありません。熱と風、自転と水蒸気が織りなすイリュージョンを、いつまででも眺めていることが出来るのです。
昔の人々はそれを、歌に詠んだのでしょうね。
マコ
2017年11月14日
いいえ。これからも。
いいえ。これからも。私は書き続けるでしょう。こうして手紙を重ね、幾年も過ぎていく。やがて人間が滅んで、電子機械のインフラストラクチャーだけが残る。そこに誰かが来て、この手紙を解読してくれる。この星には人間という種がいて、それはダメなところもあったけれど、結構面白い生き物だった。そう思ってもらえるかも知れないと考えると、もう少し手紙を書いてもいいのかな、なんて思います。
この世界に眠る、驚きの原石を集めながら。
マコ
2017年11月13日
人の手の及ばないもの
だって、太陽そのものが美しい訳じゃない。ひまわりの咲く、真夏のアスファルトの坂の上か、熱い砂の海岸ででもなければ、ほとんどの人が南中している太陽を美しいとは感じないでしょう。それなら色?赤い色はより人間に好まれるのでしょうか。でも赤い照明を使った舞台照明が、必ずしも人を感動させるとは限らない。いいえ。と私は、カップを拭く手を止めて考えたのです。夕焼けの色合いは単色ではない。まるで十二単のように、藍から朱、黄に至る色の重なり。これなら人間が好きになる理由も分かる気がします。
しかし私はさらに考えを進めました。南中する太陽と西の空に沈む太陽の違いとは、変化の量なのではないか、と。南中する太陽は、私たちの頭の上でさんさんと輝いているだけです。一方夕焼けは、太陽、山の稜線、西の空にたなびく雲々、早くも輝きだした月そして星、赤く染め上げられた野山の植物、そして私たち。夕日はすべてを変化させます。それは、人の手の及ばない大きなものの営みが、一どきに感じられる瞬間なのです。そうして私たちは思う。私たちは人間界に住んでいるんじゃなくて、地球の上に住んでいる。そんなことを感じるがゆえに、私たちは夕焼けを愛するのかも知れない。
マコ
2017年11月10日
私たちの美しさについて
その中でもあるときだけ、世界の人々が美しくなるときが来る。それは真赤な大きな夕焼けのとき。私たちは手もとの仕事をやめて、その大きな夕日を眺める。その瞬間、この国中のたくさんの人がたくさんの場所で、同じ一点を見つめている。自然なるものに感情を動かされる繊細な心のはたらきは、美しい。それをたくさんの人がもっているということも、美しい。そうして美しいすべての魂は、夕日によって赤く照らされる。そのとき人々は、山々と雲と、ビルと水平線と同じに、一つの夕焼けの風景になる。
私たちの美しさは、このようにして、恩寵のように現れるのです。その美しさを、この命が終わるまでに、いくつも見つけてみたい。それが私の願いです。
マコ
2017年11月9日
カレンのこと
それでときどき、カレンは私に手紙を書きます。その土地で買った絵葉書も同封されているのだけれど、ただ絵を見せたいだけみたいで、そこには何も書かない。別に便箋でまとまった長さの文章を書いてよこしてくれる。例えば、こんな風に。
マコ、私はいま地中海のほとり。Mediー中ーterraー大地ーneanなんていうけれど、これは全くの海。今日の昼に、そのメディ・テラ・ニアン・シーの海岸を散歩したんだけれど、それが凄かった。両側に、ほとんど視界をさえぎるものがなくてね、180度、海が見えた。そしたらその海って丸いんだ。そう、水平線は曲がっている。エラトステネスのいったとおりに、地球が丸いことが目で見て分かるんだ。そうするとね、ああ、自分は街の中にいるんじゃなくて、地球の上にいるんだって思う。そう思う時の沸き上がる気持ち、マコにあげたい。右手に少し突き出した陸地があって、そこには真っ白い風力発電機が回ってる。それが回転するのが、抜けるような青空の中でみごとに映える。私の頭の中では、メディ・テラ・ニアン・シーの反対側、古代アレクサンドリアで海を見たエラトステネスと、21世紀の新しい造形が二つで一つになる。人間の生きて来た歴史をたっぷり吸収してしまうほど、目の前のメディ・テラ・ニアン・スィーは漫々たる水量をたたえる。
なんて。手紙の中に手紙。マトリョーシカ式に書いてみました。リコには言わなかったけれど、カレンの手紙に私は結構救われている。毎日の繰り返しの中にいると、世界が一つの形しかとらないものだと無意識に思ってしまう(それが行き過ぎると、その世界に絶望して、自殺をしたりする)。 カレンは私の代わりに世界中を飛び回って、目の前にあるものだけが世界の全部ではないのだ、ということを私に分らせてくれる。それってすごく、私には大事なことなのです。
じゃあ、またね。
マコ
2017年11月8日
おかえりなさいの言葉
本当の家へ帰って来たということを知らせるために、月はおかえりなさいを言う。
たぶん、そんな気がする。
マコ
2017年10月29日
雨のことを好きになってほしい
でも近頃、雨が嫌いになりつつあるかも知れないのです。それは主に、災害に関係しています。ここ数年だけでも、雨による水害そして山の崩れが幾度となく起こりました。そして悲しいことに、雨は人を殺しました。残された遺族の方にとって、雨嵐は忌まわしい記憶を呼び起こすものでしかないのかも知れません。この異常気象の原因は、おそらく人間にあるはずなのに、私たちは雨を敵と見做さなければならないところまで来ています。そしてその流れは、将来もっと強く。
小さなころ、夢のような時間を与えてくれた雨のことを、好きになってほしい。これが私の気持ちです。でもそのためには、これからますます強まっていくであろう嵐の被害に対して、ますます十全な災害対策を施していかなければならない。それが困難なことは分かります。リコ。私たちは不思議に悲しい時代に生まれたのです。
マコ
2017年10月28日
『大地のマントを刺繍する』
それは、塔のてっぺんに幽閉された六人の乙女たちが、監督官と思われる黒い男の指図で延々と布に刺繍を施しているのです。布は塔の下へと際限なく繰り延ばされていく。そこにある刺繍は、世界そのもの。乙女たちは、布によって世界を作っていたのです。その小説の主人公である女はこの絵の前で号泣します。その哀しみは「私の知りうる世界は、どこまで行っても私自身から一歩も踏み出していないのだ」という実感から来ているのです。乙女たちが繰り出していく布は、塔のてっぺんから下ろされる。そんな布で世界が出来ているとすれば、乙女たちはどこへいっても塔へ幽閉されているのと同じだ。そういうことなのです。
実はバロのこの作品は三部作となっていて、初めが『塔に向かう』、次が『大地のマント』、その次がまさに『逃走』という作品なのですから、『マント』の絵は決してポジティブな光景を描写しているのではない。
そう。それは分かっているんです。でも私は主人公のエディパとは違って、この絵にもっとポジティブな、建設的な含意を思うのです。それは、コーヒーを淹れている時にいつも私が感じていることであるのですが。
あの絵の中で、乙女たちの頭(あるいは心)の中にある「精神」は、外からは決して見えない。表現されなければ分からない、不可視なものなのです。人には見えない自我。それはこの世に存在してもしなくても同じものだ、と私は不安を抱きます。しかしささやかな労働(刺繍)によって、自分の払った労力が一つの物質と変わって、この世界を構成する一部となる。私は世界を構成する運動に、参加することになる。それは太陽や雲や、木々や草花の生成する運動と同じく、この世界を美しくする。いいえ、たぶん、私が謙虚であれば、美しくすることが出来る。だから私はバロの絵を見た時に、エディパとは正反対の感情を抱いて、勇気さえ沸いてきたのです。本当は誤読なのは、分かっているのですが。
人から見て、可視的なものだけが本当の私です。私が私の中だけで完結している私は存在しないも同然。だからこそ、大地のマントをささやかに、謙虚に刺繍する。私の労働が、この世界の一部をわずかでも飾るように。
じゃあ、またね。
マコ
2017年10月27日
夕焼けは優しさ
この時期の夕暮れ、妙に明るいなと思ってふと頭を上げると、窓の外は真赤(または橙)に染まり、その色づきがカフェの中にまで入り込んでいることがあります。そこでは夕焼けの絵筆がもの全体を撫で過ぎたように、青、緑、きいろ、全ての色の中に赤が混じり込むのです。壁際に這った濃い緑のアイビーも、どこか朱色がかって見える。
こんなとき、心の中で私は泣きたいような気持になります。太陽は誰をも見捨てないということが、夕焼けが色づけないものはない、ということから分かってくるからです。私たちはいつも、太陽にまもられている。栄養をもらったり、元気をもらったり。その太陽は優しく、全てのものを赤く照らすのです。まるで全世界が自分の子どもたちであるかのように。
マコ
2017年10月26日
薄やみの訪れるとき
しかしなんといっても、私が一番大好きなのは薄やみの訪れるときです。閉店近く、太陽が赤色に変わるころ、照明の行き届かないところが暗くぼやけてくるようなとき。そのとき人間らしい営みはひっそりと静まり返って、ただお湯の沸く音、時計のチクタク、店内のオルゴールの音だけが場所を囲い込む。アリスが不思議の国にいったのは、本当はそんな時刻だったのではないかと思うのです。薄やみの中、小さな洞穴の向こうに広がる不思議な世界。薄やみは、そんな不思議を漂わせながら、お客さんたちをやさしく包んでいくのです。
マコ
2017年10月25日
コーヒーの飲み方
コーヒーカップをかまくらのように身体でおおって飲む人、スマホカメラのシャッターボタンを押すように飲む人、コーヒーのあったかいところをお腹にあてて、深呼吸するようにゆっくり飲む人。
コーヒーの飲み方を見ていると、何か、その人とコーヒーの関係が見えてくるような気がします。言い換えれば、その人がコーヒーに何を求めているのか。例えば深呼吸をするように飲む人。ゆっくりコーヒーを飲むから、コーヒーが体中を巡っていくように見えます。そしてその人は宙に漂う光の結晶を追いかけている。育ちのよい植物が、土と、水から栄養をたくさん取り入れるように、彼女はコーヒーと音楽、それにカフェの空気の中から、元気になる養分を取り入れる。
そんな風にしてコーヒーを飲んでもらうことが出来るのも、バリスタ冥利のひとつ、という訳です。
話は少し変わりますが、今度の水曜日、トモコさんと夕日を見に行こうと思います。リコも知っているとおり、この街の水うみに沈む夕日は、大変有名でこの国の中でも有数の美しさを誇るのだそうです。私たちのカフェには、観光客もよくきて頂きます。そこでこの国でも有数の美しさを誇るというその夕日をあらためて見てみようという提案がもちあがったのです。定休日のカフェに二人で集まって、ドリップしたコーヒーをタンブラーに入れてもっていこうと思います。自然に囲まれて、コーヒーを飲むというのもひとつの方法。きっと、大きな夕日を前にして飲むコーヒーは身体を温めてくれて、ちぢかまった感受性の大きさを、元通りに直してくれると思うのです。そこで見る夕焼けは、私たちに何を教えてくれるのでしょうか。
マコ
2017年10月24日
街と灯台
光があるっていうことは、その下に人がいるということ。夜が、世の中の様々なものを覆い隠して、純粋に光だけの世界になる。光だけの世界になれば、それだけ人の気配というものが、色濃く映えてくるのです。だから、夜景をみると安心します。まるで、真っ暗闇の海の中で、灯台を見つけたときのように。この街には今日も、たくさんの人が暮らしているんだ。そうしてそれぞれのペースで、自分自身の生活を前に進めている。
大海原の灯台のような光の群れを見ているうちに、やがてそれは何か水中の生き物のような、大きな一つの生命体となって、一定のリズムで動き出すのです。それは人間という種のリズム。パッヘルベルの『カノン』を聞いているように、全身の生命が呼び覚まされるような、正直で前向きなリズムなのです。このリズムのもとに、私たちは前へ、歩き続けなければならないと思う。
夜景を見ると、いつだってそのように感じるのです。
じゃあ、また。
マコ
2017年10月23日
足すことだけじゃない世界で
店内は、きちんと整理された本棚と真ん中にテーブルが一つだけ。石ころの転がる河川の川辺のようにさっぱりとした店構えです。テーブルではカフェもやっていて、店主さんによると、ここを本屋として利用する人とカフェとして利用する人の割合は1:9くらいだというのです。なんだか分かる気がします。同じカフェを運営するものとして、ここには外界とは違う時間の流れ方があるから。
私は「冬の本」という本棚の中に、好きなデンマークの作家を見つけたのでそれを買って、あとはコーヒーを飲みながら、その本をめくっていたのです。背後に雪の気配を感じたので振り返ると、びゅうっと秋風が吹きました。
そうしているうち、店主さん(それは若くて美しい女性でしたが)とも仲良しになって、読書会のお誘いをいただいたのです。それは街の中にある古民家の居間で、二月に行われる読書会です。「きっと寒いでしょうけれど、寒さは寒さのままで過ごしたいのです」と店主さんは言われました。しかも読むのは谷崎潤一郎の『細雪』。頭の中まで真冬です。私は今から楽しみになりました。
うちへ帰りながら、「冬ごもり」の店主さんの言葉を思い返していました。「きっと寒いけれど、寒さは寒さのままで過ごしたいのです」。そう言われた瞬間に、私の中で何かの荷が降ろされたのを感じました。苦痛は、排除されなくてもいいのだ。苦痛は苦痛のまま、それと一緒になって暮らす方法もあるのだと気づかされたのです。社会で生きていくことが苦手だといった店主さんは、一見この世界の辺境にいるように見えて、この世界の先頭に立っているのではないでしょうか。苦痛を苦痛として共に暮らす。雪と一緒に暮らす。まさに「冬ごもり」の生活を実践されているお方なのです。
今日はここまで。じゃあまたね。
マコ
2017年10月22日
陶芸家のつくるピザ
2017年10月20日
ある修道女の記録
その本には、十九世紀のアフリカ大陸のある港、貧民窟で奉仕する修道女の一生が書いてありました。あの忌まわしき三角貿易によって作り上げられた港湾都市には、多くの宿無し労働者たちや、そもそも働けない人たちで溢れていました。そこへ降りたった幾人かの修道女の中に、その一団を率いる女性がいました。これは、その女性の人生の記録だったのです。その港で商人をしていた男が、その修道女と知り合い本を書いたのです。
私は頁をめくるにつれて、彼女への憧れと興味をましていきました。彼女は(彼女たちは)ほとんど元手のないところから寄付を募り、自分たちで畑を耕し、自分たちの食べ物を賄うところから、人々のお腹を満たすところまで辿り着き、行き場のないような人々が憩えるような家(メゾン)を建てたのです。彼女は言います。「私の話した言葉、行った事がら、訪れた場所のうちで、誰かのためにならないものは、私の人生ではないのです」。また彼女は言います。「愛を行う最大の方法は、犠牲ということです。毎朝私は、それを自分自身に問わされています」。
私は彼女の人生におこがましくも自分を重ねていきました。確か、初めてバリスタを志したとき、私が考えたのは「誰かの心を安らぎで満たすこと」だったのです。彼女はそれを、自分一生の使命として、厳しく追及した。私はその姿勢に胸を打たれずにはいられませんでした。
まだ本は途中なのですが、「どうしてこんな仕事に従事できるのか」と書き手である商人が尋ねたとき、彼女が答えた言葉を記しておきますね。それじゃあ、また。
「世の中は私たちが思っているよりずっと悪い。私たちの力では変えることは出来ないし、また、世の中が変わると考えることすらおこがましいと思っています。でも人生は眼鏡を通した風景のようです。風景は変えられなくても、私の眼鏡なら簡単に変えることが出来る。すると不思議なことに、風景まで変わってしまうじゃありませんか?世界は変わらない。けれど眼鏡をかけかえることは出来るのです」
マコ
2017年10月19日
冬はつとめて
日曜日の朝、お父さんの車に乗せてもらって、私たちはお城へ向かいました。雪のせいで、橋はもう真っ白になっていて、手すりの上にある玉ねぎみたいな擬宝珠(ぎぼし)の上にも、こんもりとした雪の屋根が覆いかぶさっていました。その雪をとって、お堀へ投げてみる。固くなった水面は、私たちのような子どもの投げる雪玉ではびくともしません。投げた雪玉が星のように、くだけていくのを見ていました。橋を登り切ったところに、道に傘をさすように大きな落葉樹がせり出しています。それはなんとも言えず、不思議な枝ぶりをしていて、ある程度まで水平に伸び、ある一線に達すると垂直方向へ伸び始めるのです。ちょうど何かの若芽のように。私はその姿を、城山のもった大きな手のように思っていました。雪は枝の一本一本にすきまなく乗っかって、森は雪の姫の城、冬の彫刻のように見えました。
私たちは何をするのでもないのです。ただ椿ケ谷を散歩して(そこにはもちろん、真っ白になった椿が立っていました)、雪が自然を覆い隠すさまを眺めていたのです。朝の光線には、人間活動のちりやほこりが含まれていないから、あれだけ透明なのかもしれません。木々から漏れるガラスのように透明な光線が、雪をお堀のせせらぎを照らしていました。私はいつもより、視力がましたように、草の端の姿かたち、森の木々の枝ぶりまで、くまなく見渡せる気がしたのです。
それもやはり、冬の朝の光の魔法ということなのでしょう。じゃあ、また。
マコ
2017年10月18日
夕日が沈んでいく
あの日は二つに切り裂かれてしまった心の片側と格闘しながら過ごしました。でも、あの日はいつも以上に働いた。ただ、働くことしか出来なかったから。リコ。いまでは懐かしく、微笑みすら浮かべて思い出せる過去でも、あの当時は必死でした。本当に。「私が悪かったの?」、「でも、最大限のことはやってきたつもり」、「これは私の落ち度?それとも彼の心が小さかったから?」何度振り払っても、そんな「邪念」が湧いてきました。私はそれから逃げるようにして、彼と別れた(別れさせられた)翌日を働いて過ごしたのです。
リコ。それはちょうど、今くらいの季節でした。まだ私が会社員をしていて、この国で人口が一番多い街に住んでいたころの秋。街路樹は紅葉して、人間を置いてけぼりにするくらいに空は高かった。定時に上がったのに、もう日の暮れかかる時刻でした。コートを着込んで歩き出すと、さすがに泣けてきました。寒さを乗せた風と、ベージュに暮れかかる空が、私に告げるのです。「この空の下で、お前を気にかけてくれる者は一人もいない」。冷たい風が私の精神的な肉体を削り落としていくような気がしました。「この街で私がいてもいなくても、何の変わりもないことなんだ」。胸にぽっかり穴があいて、その穴を通り過ぎていく風は、私の傷口に痛みをもたらしました。私は変に笑って、「客観的」であろうとしました。「あいたた。さすがにこれは、痛いや。とっても悲しくて、とっても痛いや」。公園のベンチにすわって、立てた襟の中に顔をうずめました。私に明日なんてあるか知らない。あってもなくても、私には何同じだ・・・・・・。
その時でした。突風がふいてコートの裾をまきあげると、地面に落ちていた枯葉の数枚が、空に舞い上がりました。そこにはビルとビルの谷間に沈んでいく真っ赤な夕日。それはたなびいた雲を照らし、ビルのピカピカに磨かれた窓たちを照らし、私までをも照らしていました。それは今日の一日の終わりを告げるとともに、生き物たちの一日を、ねぎらっているように思えたのです。私は涙を流しました。
「そうか。どんな時でも陽は上るし、どんな時でも陽は沈んでいくんだ」。
これから夜が来て、また朝が来る。リコ。私は家族でいったキャンプを思い出していました。リコと二人で、薄の原っぱを歩いた記憶。それは夕焼け色に輝いていて、夕日を浴びた薄の穂たちは、雪の結晶のようにきらきらと輝いていましたっけ。「マコ、大きいねえ」。山の中に沈んでいく夕日を、姉妹はいつまでも眺めていましたね。耳に髪飾りの薄の穂をつけて。その日の夕食は、カレーライスとお母さんが焚き火で作ったパン。バターを塗って食べるとものすごく美味しかった。
みんな帰ってしまった公園のベンチで、様々な記憶が蘇ってきました。私はその日、夕食なのにトーストを焼いて、バターを塗って食べた後、ベッドに丸く眠りました。まるでテントの中のように、温かでやわらかなシュラフに包まれたように。
たぶんこれは、リコに初めてする話です。じゃあ、また。
マコ
2017年10月17日
私は水源のように
今朝の朝もや。風に揺られるコスモス。開店の準備は、プランターへの水やりから始まります。窓の外に据え付けられたプランターからプランターへ、ジョーロで水をやっていきます。窓の下にはご近所の方が歩いていて「おはようございます」なんてあいさつして。
カフェに勤めていなければ、園芸店に勤めていたかも知れない。花の根っこに水をやるとき、腕に抱えたジョーロの水と一緒に、私の中の良心的な部分が注がれていく。その時間には、私は悪いことも嫌なことも考えず、ただ命の喜びを運ぶ人となる。このようにして、世界は少しずつ美しくなっていく。各々が各々のやり方で、各自の良心的な部分を世の中へ流していく。私は水源のように、この世界を愛で満たしたい。
今日はそんなことを考えました。
マコ
2017年10月13日
城門と石蕗(つわぶき)
リコ。先日の水曜日は、天空を天使たちが飛び回っているような、晴れ晴れとした秋の空でした。風が天使の歌となって、街の人々の心を愉しませているような一日だったのです。
私は自転車でお堀に沿って走ったあと、お城の敷地にある喫茶室へ向かいました。その喫茶室は、明治に建てられた建造物を使っていると聞いて、前から行きたいと思っていたのです。喫茶室へ向かうのには、お城の大手門(正門とも言えましょう)ではなく、搦め手(後の門)とも言えそうな幅の狭い城門をくぐらなくてはなりません。紅葉のきれいな橋でお堀を越えると、落葉樹林に傘をしてもらった石畳の階段が続きます。歩いていくうち、樹林は高く高く空にのびて、木々の間から透けるような空が、ちら、ちら、と姿を見せていました。この辺りまでくると、空気まで違ってきて、私は鼻から静かに、胸いっぱいにいい空気を吸いました。それはダイヤモンドのもやのように爽やかに、清涼剤のように涼やかに、私の体を巡っていきました。
やがて黒松が斜にのびて、搦め手の城門があらわれます。これは珍しい造りのために、重要文化財として、後世まで遺されることが決まった遺構でした。私はその黒々とした石垣のあいだに、茎の長い、黄色い花がちら、ちら、と揺れているのに気がつきました。そうか、石蕗(つわぶき)の花が。私は思いました。赤ちゃんの両手のようにまるい、つわぶきの緑の葉っぱに、茎がすっと伸びて黄色い花が風に揺られているのです。私が石蕗の花を眺めているあいだ、何人かの人が城門をくぐっては、石蕗の花を愛でていきました。城門と石蕗。あるいは、永遠と一日。一日あるいは数日しか持たないはずの石蕗の花は、たくさんの人々の心を楽しませるのです。なぜ、私たちは時に、永遠よりも一日をいとおしく思うのでしょう。なぜ、私たちは時に、堅固な構造物よりも、か弱い存在をいつくしむのでしょう。それはおそらく、喜びが実際には一瞬、一瞬の産物であって、私たちが永遠や堅固さを崇めるとき、それは一瞬一瞬の恍惚が、たまたま持続的に続いているだけのことだからなのかも知れません。その持続が本来の最小単位である一瞬の喜びに還るとき、人は石蕗を見て小さな夢を見たりするのかも知れませんね。
マコ
2017年10月7日
清涼なる大樹のあらんことを
リコ。水曜日は湖岸の散歩へ出かけました。湖岸から広がる原っぱには、萩、コスモス、ときどき藤袴。秋の花たちがやってきました。低く垂れこめた曇天と地平の間を、夕日が金色に染めていました。
リコ。私たちはなんで生きているのでしょう。毎日このようにして命が削られていく。すなわち死に近づいていく。だから私たちは、その日が来るまでに、自分が生きた価値を探さなくてはならない。そうでなくても、あの夕焼けの向こうで、世界のどこかの街で、誰かの命が「終わらされている」。それは明白な事実です。その明白な事実を、いつしか感じ取れないように頭を鈍らせ、忘れてしまう。それが大人になる過程の一部であるとしたら、少し悲しくないでしょうか。私は夕日が紫色の雲の中に沈んで、地平線の下に隠れるまで、いつまでもじっと見送っていました。
その時でした。私は夕日に照らされている山々を見たのです。西側からの光をうけて、尾根の西側は黄金色に照り輝いていました。その分、尾根の反対側はくっきりとした黒で縁取られます。脈々と波打つ、山々の連続。それは何億年まえに生を受けた、大地から生まれた生命のように見えました。その脇を、金色に染まった雲が、大きな白鳥のように広がりながら飛んで、霞んでいきます。夕日がつくった今日の最後の見ものでした。
私たちの生は謎に満ちている。死ななければならないのに生まれるという謎。しかし、この世界にいるからこそ、時々夢のような光景にであうことが出来る。それもまた、一つの生きる理由になるのではないかと思われたのです。願わくは、この世に清涼なる大樹のあらんことを。その下に集まる人びとが、この苛烈な日照りの中で、一時の安らぎを得られるような。大昔の僧侶のいった言葉です。
マコ
2017年10月3日
竹林と私
リコ。真暗い夜空に虫の声が漂うようになり、この国も、いよいよ秋という感じです。リコは秋が好きでしたね。「あの、生命のすべてが終わっていく感じ。人間、誰しも一度は死に向かわなくてはならないということを、しみじみと教えてくれる秋。マコ、そう思わない?」振り向いたリコの背景には、眩しいくらい色とりどりの紅葉。私には、決して忘れることの出来ない光景です。
この間の水曜日、お母さんと月光寺に行ったのですよ。それこそ秋の風景の映えるお寺です。そのとき、私は頭が重たくて地面に垂れ下がるほどに疲れていたのです。それというのも、その前の週末、トモコさんはイベントで別会場へ出張で、私は一人で仕事場を回さなければならなかったのです。実際にやってみて分かったのですが、カフェに勤めるということと、カフェを経営するということの間には、信じられないくらい大きな距離があるのです。その一日、私が提供する商品やサービスに何か不完全な箇所があれば、それは一重に私の責任なのです。トモコさんは毎日そんな緊張感を背負ってカウンターに立っている。それを知ったことは、私にとって大きな学びだったと言わなくてはなりません。というわけで、私は神経を消耗していたのです。
勘のいいお母さんは、そんな私を月光寺に誘ってくれました。あそこには、たしかリコとも行ったことがあったと思いますが、庭を見ながらお茶をいただけるスペースがあるのです。この街の城主のおかかえ庭師が設計した庭。真ん中に池があって、右手に松と紅葉がせり出すように池にかかっている。毛氈(もうせん)の上にすっと背筋を立てて座り、お茶を頂くと、気分がすっきりし静かな深呼吸ができるような気がします。昔の禅僧はこうして瞑想へ向かう準備を整えたのでしょうか。しかし私も神経過敏なものです。お母さんが用意してくれたこの舞台だけでは十分にリラックスすることが出来ず、さらにお寺の森を散歩してみることにしたのです。お母さんはもう少し庭を見ていたいと言いました。そこで私は一人、散歩へ繰り出したのです。
お寺の裏手は右手が上り坂の斜面になっていて、檜がずっと植わっていました。反対側の左手は、平坦な土地の上に竹林が広がっていました。私は竹林へ歩きました。そして竹林の中に入ると、空を見上げてみます。竹の葉擦れのする中に、ダイヤモンドの形に区切った光がちらつく。それは竹のすべすべした表面に反射して、森の中をエメラルドの光で満たしていたのです。私は太くて丈夫な竹に、身を持たせかけました。ハシっと枝の擦れる音がして静かなささめきが響きました。私の意識は、だんだん鮮明に、透明になっていくような気がしました。竹林と私。竹は大気中の酸素で、静かに呼吸している。でも酸素をもとめて上へ伸びる前に、まずは根をしっかり張らなくてはならない。安定した根の上にこそ、安定した幹が伸びていける。そうだ。私は竹林の中で、大きくうなずきました。
マコ
2017年10月2日
30分以内と49時間以上
・近くで爆発があった場合、最初の一瞬を生きられるかどうかは、もう運にかかっているとして、そこで生き残ってからの話をしましょう。
・被災者は、30分以内に屋内(できればコンクリート造りで、地下室ならなお良し)に避難しなければならない。爆発後30分から数時間にかけて、最も放射線の多い灰が降る。
・それから、出来れば49時間以上、避難を続けなければならない。そのあいだの食料は、もちろん外気に晒されていないものにして。放射能は7時間で10分の1になる。だから、49時間経てば100分の1になる。
・爆心地から何百キロも離れた地域ですら、放射性物質は飛んでくる。だから、放射能が100分の1になる49時間を屋内(できればコンクリート造りで、地下室ならなお良し)で過ごすか、爆心地からの風がこない安全な地域へ逃げるか、その時の状況に応じて判断しなければならない。
・私はN99規格のマスクを買って、お母さんにもあげました。また、安定ヨウ素も買いました。成人で一回100mgから130mg(ヨウ化カリウム換算)が推奨される摂取量のようです。ヨウ素剤には、そのほか、妊婦さんのこと、ほかの薬との飲み合わせもあるので、ケースに応じて要確認です。
きっと、またね。
マコ
2017年9月18日
今なすべきこと
リコ。今日は悲しい手紙を書かなくてはなりません。
北の国が、またミサイルを打ちました。雨なら、よかったのに。いつか降るかも知れないのは、高熱の雨。
私たちの国、そして同盟国と言われている国は、この事態をどこまで深く、知っているのでしょうか。本当は相手の出方を全部分かっていて、最近の出来事は全て茶番、非常な事態になることはないと分かっていて、ただ泳がせているだけ。そうならいいんですけれど。
でも全てが計算済みなのか、本当のことは誰も知らないのか、それが分からない。少なくとも私には分かりません。私は最も過敏に案ずる者として、最も早く憂う者として、行動しなければなりません。
リコ。私は戦争の準備を始めます。それは銃をとることではありません。絶望的な事態を予め想定して、そのための「逃げ道」を今から探しておくということです。私は逃げます。この世界に張られた数知れぬ包囲網から、わずかな空間のポケットへ。古い帝国で弾圧された「邪教徒」たちが、隠れこんだ地下の洞窟のように、静かに私の生活を、営める場所へ。
きっと、またね。
マコ
2017年9月12日
華々しすぎるもの
リコ。私の目に一葉の写真、ちょうど色あせた写真のように、なつかしい光景が思い浮かびます。そこは白と桃色の花の咲く花畑。私より大きなリコも、花に埋もれてどこにいるか分からないほどの花の雲。高原の中腹の中に、夢を見つつ眠る雲のようでした。
その中に一つ、他の花よりたくさん花のついているものを私は見つけました。そのころ、いたずらざかりだった私は、珍しいその花を引っこ抜いてしまったのです。お父さんにも、お母さんにも見つからず、抜き取った花をもった私は、花の森の中にいました。そして気がついたのです。その花の花のところばかりが大きくて、茎も葉も弱々しければ、根っこも小さくちぢかまっていたということを。
人間も同じ。頭だけが大きくて、体にも心にも、栄養が生きわたってない人。華々しい成績を上げるために、足元の、自分の立っている地面がどんな様子かを知らない人々。
珈琲は、目的への意識を断ち切り、今、この場所を堪能するように私たちを誘う。この社会には、そのようなものが必要なのです。
マコ
2017年8月30日
決して大きなことではなく
北の国が私たちの国を越えて、ミサイルを打ち上げました。このことが昨日、ずっと私の頭の中にこびりついていたのです。その思いはトモコさんも同じで、私たちは閉店後、ずっとその話をしていたのです。
ミサイルが発射されてから地面に到達するまで、時間としては十分とかからない。その間に事実を知り、避難場所を考え、そこまで移動する、ということが本当に出来るのでしょうか。それは、ほとんど百パーセントに近い人にとって不可能なことでしょう。私たちは確定的な危険を突き付けられている。辛うじて冷静に眺めていられるのは、「核の傘」に守られていると思えるから。ふだん、あんなに忌まわしく思う「核の傘」をありがたく思う。なんて無様な姿なのでしょうね。
これから先、私たちはこんな時代を生きていかなきゃいけない。いつも視界のはじっこの方に、黒い、死の影を認めながら。ふと気を抜くとき、あるいは何か不穏なニュースが報じられるとき、その黒い影は油を注がれた焚き火のように、私たちの視界全体を覆ってしまう。いつか生活そのものが、脅威にとって代わられる。
でも私たちは負けちゃいけない。私たちが生きているのは、いつかくるかもしれない未来ではなく、現在だから。私たちが生きているのは、特定できないどこかではなく、この場所だから。大事なことはいつも、半径一メートルの中で起こっているのです。その圏のなかで、ミサイルの脅威よりも見るべき美しいものがあるし、聞くべき嬉しい声もある。たとえば白い、可愛い花々。小さな子どもたちの楽しそうな笑い声。夕雲の、赤と灰のグラデーション。たとえ黒い影が、急速にその速度をあげて迫って来るにしても、私たちの生活は、それを乗り越えるだけの空間(スペース)の拡がりをもっている。それを、この世界への愛で満たさなければならない。世界を愛さなければならない。だから、私は珈琲を淹れ続ける。お客の日常のちょっとした隙間を、美味しい香りと芳ばしい味で満たすために。
政治に期待できるのかどうか、私には分かりません。ただ、日常だけが確かに私たちの豊かさをつくりだしているのです。
じゃあ、またね。
マコ
2017年8月23日
晩夏雑記
リコ。春先に生まれた子猫たちが、彼らの人生を前に進めて、精悍とした首すじの快い、頼もしい若猫たちになりました。公園の棕櫚の陰、屋敷の塀の上に、今日も小さな放浪者たちが独り、足を忍ばせているのです。
今日はお盆に行ったお墓参りの話をしましょう。(リコも知っているとおり)私たちのお墓は市が運営する共同墓地にあります。草木を全部刈った丘陵の上へ、数千の墓標が、まるで等高線のように、また村の寄合の車座のように、立ち並んでいるのです。丘陵の尖端には「戦没者慰霊碑」と小さな東屋があって、私たちの水うみと街が、はるかに見下ろせるのです。
あまり行かれないお墓参りで、私たちは墓石を洗ったり草を抜いたり、ひとしきりの作業をしたあとで、お花を生け、線香をあげて、亡き人へ礼をたむけたのです。お墓の下には、リコの小さな白い骨が埋まっているにも関わらず、リコ、私はリコがそこにいるような感じはしないのです。私の感じによると、リコはもっと奥深く誰も知らない森の中に、雨になって降っているとか、そうでなければ星と星のあいだにあったり、また、私の心の中の深淵にいたりするような気がするのです。
お参りがおわると、お母さんがもってきた水筒をもって、私たちは山頂の東屋で休憩をとりました。丘陵のふもとからこちらまで、墓標の列が何段も見えました。それは顔のないフルート吹きたちのように、静かに笛を吹いているように見えました。笛の音のかわりに、金属的で涼やかな風が、草を揺らし、お墓のうしろに立っている卒塔婆をゆらし、こちらまで吹きそよいできました。墓地という死の集合体にもかかわらず、彼らが私を悲しい気持ちにさせることはありませんでした。むしろ、どこかにある遺跡が私たちに感じさせるように、懐かしい、永遠に思い出される人間の生きた名残りを私は感じたのです。
お盆に、二つの悲劇的な日付、そして終戦紀念日。私たちが最も死者に近づく夏の日でさえ、死は私にとって恐いものではない、すくなくとも理解不可能なものではない、ということを私は思いました。おそらく私たちは、長い間「死」の世界にいて、ときどき思い出したように、「生」の世界に生まれ出てくる。そこで肉体をもつことでしか得られない、様々な体験を重ね、また永い「死」の世界へと戻っていく。だから死とは、全ての人々にとっての故郷なのです。そう思って、私は自分が、死をそんなにも恐れていないということを感じました。そう考えることが出来たなら、人間の大きな苦悩のひとつが、いくらか軽くなるのでしょう。
ひとつ問題があります。たとえ死が、本来人間にとってあまり遠くにあるものでないにせよ、人の「死に方」は、その人を多いに苦しめることがあるのだということです。死の前にある痛み、そして死ななければならない理由(あるいはその理由のなさ)によって。痛みは、その当事者にしか分からないことだし、外からの者があれこれと評価するものではないにしても、人は痛みには苦しむより他に道はないし、痛みそのものによって死ぬことはないのです(私はそのことを、昨年ガンによって亡くなった私たちの叔父さんから学びました)。最も人を苦しめるのは、理由なのかも知れません。死の瞬間にあって、もしその人が自分の死を意識できるとしたら、「なぜこんなことで自分が死ななければならないのか」、「なぜ何の咎もなく、私が死ななければならないのか」という思いは、大きくその人を苦しめるのだと思います。
そう、私たちを苦しめるのは、理解できない死なのです。折しも共同墓地の山頂からは、この街を照らしながら、落ちていく夕日が見えました。あの赤い空の向こうに、今日もいくつもの「理解できない死」が生まれては消えていく。あの赤い空の向こうで、また「理解できない死」を量産するための準備が進められている。この赤い空の下で、それを抑止するための、殺人的な準備が進められながら。
盂蘭盆会を過ぎて。
マコ
2017年8月7日
空は笑いはしない
マッチ売りの少女がちいさな灯りに最後の夢を見てたとき、空は彼女に笑いかけたのでしょうか。いいえ。空は笑いはしない。空は、徹底した、冷酷な吹雪を、彼女に吹きつけた。彼女は守られなかった。ただ彼女のスカーフに転がったままの雪だけが、かわいい花の紋様によって、彼女の夢をふちどっていたのです。
幾世代か前の昨日とそしてあさって、空は高熱の閃光そのものになって、あの人たちの上に降り注いだのです。そう。空は笑いはしない、決して。今その兵器は世界中にあふれ、今しも空の制圧権をめぐって、歴史の巨人と新興の挑戦者が争っている。私たちはその空の下に生きている。毎日を大事に、大事に。それがすぐに溶けるような、ちいさな雪の結晶のようだとしても。
リコ。なぜ私たちはこんなに弱く生まれてきたのでしょうね。それなのになぜ、こんなにも強く生命を想うのでしょうね。
盂蘭盆会の前に。
マコ
2017年7月20日
もがいたり、しがみついたり
子供の頃から、思っていました。この世界は、なぜこうも残酷なのか。この世界は、なぜこうも冷たくて、寂しいのか。今日もまた、どこかで銃声が響く。ある人がナイフで刺され、ある人は轢き殺される。沈んでいく夕日を見ていると、あの赤い空の下に、遠い町のどこかで、何千人もの苦しみがあるのだろうと、私は思いました。私の命の、一日分の終わりを告げる夕日が、どうしてもそんな気持ちにさせたのでしょう。
リコ。この世界は急流のようだと思いませんか。生まれた時、私たちは幸運にも「自由」を与えられて生まれてくる。その「自由」で、どこまでも水面を往くことが出来るように幻想する。やがて時が経つにつれて、あるいはある歴史的な一日を境に、自分が激流のただなかにあることを知る。私たちは「自由」であるといいました。でもその「自由」は、人によって大きく違うのです。例えば激流の中でも、親から安全な舟を受け継いでいる人もいる。そうでなくても、彼らの人生の中で「舟」を手に入れる人もいる。その舟の外には、大勢の人々が、急流に流されようとしている。ある者はもがき、ある者はもがくのすら諦め、何かつかまれるものにしがみつこうとする。そして・・・・・・、当然、死する者も。「舟」を手にした人は、その舟が一人乗りであることに気が付かない。舟の外で数々の惨劇が起こっていても、誰も乗せてあげることが出来ない、悲しい乗り物であるということを、知らない。
リコ。これが私たちの世界です。舟を得る人はごく限られた人だけです。私たちはたいてい、なんとかもがいたり、しがみついたりしている。リコ。すべての優しい芸術は、このような人々のためにあるのです。そしておそらく、濁流に吞み込まれ、帰らなくなった人たちのために。それは彼らの生きる様をやさしく見守って、そっと背中を押す。舟は手に入らないかも知れないけれど、この冷たい河の中で、生き残るために必要な熱を、配ってくれる。そういうものだと、私は思うのです。
マコ
2017年7月17日
時の凪
リコ。カラーコーディネイターの勉強は順調です。お店のファサード、内装を見ると、つい色合いが気になってしまい、私ならこうする、と考えるのです。自分が意識したものごとは、日常の中で浮かび上がって見えるものです。花が土から栄養を吸い取るように、私は日常の中から栄養を吸い上げていくのです。なんと素敵なことでしょう。
この前の水曜日、買い物に映画に、あれやこれやと歩き回って、疲れてしまったのか、午後は仮眠をとりました。ちょうど夕の七時前だったでしょうか。ねむの木の花がぽっと咲くように目を開いた私は、夕雲の赤から紫へ、紫から焦げ茶、グレーへ変わっていく様子を、目だけ開いたままずっと追いかけていたのです。小さく開けた網戸からは、山の木陰で冷やされた涼やかな風が、神のお恵みのように吹き込んでいました。
私はこの瞬間を永遠のように感じました。風が吹いているのに「凪」とは変ですが、今は凪の時、いえ時の凪がやってきたように思えたのです。私はこのようなものたちに出会うために生まれ、今、こうしてこの世界のきらめきに対峙している。私は夜ごはんを食べるのも後回しで、この夕闇を見送っていたいと思いました。二十四時間、三百六十五日。私たちはどれだけ、このような瞬間に巡り合うことが出来るでしょう。
マコ
2017年7月7日
生まれてくる前に見た夕焼け
リコ。私は今、泣いています。
マコ
2017年7月6日
洪水の中で
リコ。色彩の試験を受けるといいながら、こうして手紙を書いています。私の年齢がリコに追いついた日から始まったこの手紙も、もうすぐ一年。書く日もあれば、書かない日もあったけれど、リコへの手紙は、私の日常のリズムに組み込まれてしまって、もう書かずにはいられないのです。
今、この国のある地域で未曾有の大雨が降って、地盤は崩れ、川は氾濫し、道路は寸断されています。まるで一つの終末絵図のようなあり様です。そう、本当にノアの洪水のような。
このような、世界のどこかで誰かが苦しんでいるという状況で(といっても、それこそが世界の常態なのですが)、私はいつも、ある冷たい哀しみに襲われます。もし自分がその災厄に直接関わっていないとしたら、ほとんど全ての同情は体のいい偽善でしかないのです。その浅はかさに、哀しみを感じるのです。例えばテレビで、被災地の状況が報じられます。キャスターは深刻そうな顔をして「どうか皆さんが無事であることを祈ります」と言います。視聴者もそれに同調して、深刻そうに被災地のことを思う。だけどその数分後、テレビではプロ野球の結果がにぎやかに読み上げられ、さっきの同じキャスターが「〇〇投手、3連勝です!」なんて、ニコニコしている。お茶の間の雰囲気もそれと同じで、被災地への同情はもう、忘れられる、「もし自分がその災厄に直接かかわっていないとしたら」。もし本当に被災地のために胸を痛めるとしたら、仕事を投げうってでも、とにかく現地にいって、貯金を削りながら、復興の目途がつくまで働かなければいけない。それが出来なければ、その地域がもう大丈夫だとなるまで、信頼できる機関を探して、毎月送金しなければならない。本当に誰かを救いたいのなら、それだけの覚悟、息の長い覚悟が必要なのに、たった一時の薄い同情で、善人を貫いたような顔をしている。それが偽善だと私は思うのです。私の冷たい哀しみというのは、この偽善の底に横たわっているのです。本当はみんな、そんな聖人にはなれないのです。自分のことを全うするだけで精一杯で、誰かのために献身的態度を持続することは、精神的にも、物理的にもほとんど不可能なのです。この世界の洪水の中で、私たち一人ひとりが乗っているボートは、はるかに小さい。自分一人くらいしか乗せられない、哀しくて寂しいボートなのです。
十年ほど前、山火事を消すために飛び回ったハチドリの話が流行しました。その話はこうです。ある日、森で山火事が起こります。小さなハチドリのクリキンディは、その小さなくちばしでひとしずくの水を運びます。何をしているの?周りの動物は聞きます。火を消すの。クリキンディの答えに動物たちは大笑いします。でも、とここがこのお話の一番重要な部分なのですが、クリキンディは答えるのです。「私は私に出来ることをやるだけ」
私はこのお話を哀しく思い返します。私たちは洪水の中の小さなボートなのです。クリキンディは、山火事を消そうとする。でも山火事はそんなことで消えるほど、甘いものではない。それこそクリキンディのひとしずくは、とたんに「洪水」に呑み込まれてしまうだけです。それを知らないクリキンディが、あるいはそれを知ってなお挑みかかろうとするクリキンディが哀しいのです。
この世界に住む私たちに、洪水は止めることが出来ない、というところから始めなければなりません。そして、遠くの人へ、叶いもしない(偽善的な)祈りを捧げるかわり、私たちは自分たちのボートを拡げることを考えなくてはなりません。それは私たちの半径一メートルから始まるのです。そうして自分たちの生活の中に、どうにか息の出来る空間(スペース)を広げていく。それが「私に出来ること」の本当の意味だと思うのです。
マコ
2017年7月3日
美の耕作者たち
リコ。今日、久しぶりで早起きしてしまいました。梅雨の空気は体育館のマットのように重く、私たちの頭の上へ延べられてしまいました。せめてさわやかな朝を感じられはしないかと、近くのお寺の清涼院と、そのまわりを散歩したのです。仏教で、「清涼」とは「救い」を表す意味なのだそうです。たしかに時々空から炎が降ってくるようなこの世界には、「清涼」とした場所が必要なのかも知れません。
モスグリーンの石畳を歩き、清涼院の門を出ると、近くの小学校をとおり過ぎて帰りました。すると、校庭にそった躑躅の垣根の、ずっと前の方にうごめく影が見えました。なにか地面に穴を掘る人のような、そんな動く影でした。こんな朝早くから、いったいなんなのだろう。私は訝りながら、垣根に沿って歩きました。その影がはっきりしてくると、それは一人のおばあさんだということが分かったのです。躑躅の垣根の一角に、ひまわりが植わっていたのです。花はまだついていなくて、葉っぱだけでは瑞々しいとも美しいとも、なんとも言われないひまわりです。おばあさんは、そのひまわりに支柱を立ててやり、ビニールタイでひまわりを支柱にもたせかけていたのです。「おはようございます」。私は思わず言いました。こんな朝早くに、自分のものではないひまわりに、手をかけている人がいるなんて。誰にも見られずに。誰にも知られずに。私はなんとも言えず、感動してしまったのです。
世界はきっと、そういう風にして少し少し美しくなっていくのだと思います。
この世の中には、誰もに開かれた美の田園が、姿を隠すようにして存在しているのです。それは人々の記憶の中に、あるいはそれを暗示する様々な美の断片として。それは本物の自然がそうであるように、人々の心を豊かにする田畑なのです。そういうものを言葉に現すのが詩人だし、それを土の中から掘り出すのが陶芸家であり、家々をその収穫物で満たすのが花屋さんなのです。そして今朝のおばあさんも、小さな貢献者として、そんな美の田園を耕していたのです。
今日も街のどこかで、美の田園を耕す人たちがいる。そういう人たちが存在していると知ることは、私に勇気を与えてくれるのです。
マコ