子供の頃から、思っていました。この世界は、なぜこうも残酷なのか。この世界は、なぜこうも冷たくて、寂しいのか。今日もまた、どこかで銃声が響く。ある人がナイフで刺され、ある人は轢き殺される。沈んでいく夕日を見ていると、あの赤い空の下に、遠い町のどこかで、何千人もの苦しみがあるのだろうと、私は思いました。私の命の、一日分の終わりを告げる夕日が、どうしてもそんな気持ちにさせたのでしょう。
リコ。この世界は急流のようだと思いませんか。生まれた時、私たちは幸運にも「自由」を与えられて生まれてくる。その「自由」で、どこまでも水面を往くことが出来るように幻想する。やがて時が経つにつれて、あるいはある歴史的な一日を境に、自分が激流のただなかにあることを知る。私たちは「自由」であるといいました。でもその「自由」は、人によって大きく違うのです。例えば激流の中でも、親から安全な舟を受け継いでいる人もいる。そうでなくても、彼らの人生の中で「舟」を手に入れる人もいる。その舟の外には、大勢の人々が、急流に流されようとしている。ある者はもがき、ある者はもがくのすら諦め、何かつかまれるものにしがみつこうとする。そして・・・・・・、当然、死する者も。「舟」を手にした人は、その舟が一人乗りであることに気が付かない。舟の外で数々の惨劇が起こっていても、誰も乗せてあげることが出来ない、悲しい乗り物であるということを、知らない。
リコ。これが私たちの世界です。舟を得る人はごく限られた人だけです。私たちはたいてい、なんとかもがいたり、しがみついたりしている。リコ。すべての優しい芸術は、このような人々のためにあるのです。そしておそらく、濁流に吞み込まれ、帰らなくなった人たちのために。それは彼らの生きる様をやさしく見守って、そっと背中を押す。舟は手に入らないかも知れないけれど、この冷たい河の中で、生き残るために必要な熱を、配ってくれる。そういうものだと、私は思うのです。
マコ