2017年11月9日

カレンのこと

リコ。私には、リコの知らない友達がいます。それはカレン。学生の時から、いつも何か、心の中をにらんでいる、意思の強い子。食費をけずって(それはもう、女の子のくせに仙人みたいで、三日間くらい絶食するのです)ときたま旅に出る。アジア、アフリカ、ヨーロッパ。なんでかアメリカと南米はいったことがない。カレンはそのまま外国語の名前になるから、旅先ではすぐに友達が出来るみたい。ノルウェーやフィンランドでは、カリン、なんて呼ばれたりもするらしいの。旅先から帰ってくると、こっちではやっぱり旅に関わる仕事をする。そう、フリーの観光ガイド。いろんな協会に登録していて、けっこう人気があるみたい。カレンはいろんな国に行くから、世界中のお客さんのウケがいい。それで、カレンをガイドに雇った会社は口コミで客が増える、というのがもっぱら業界の評判(噂?)という訳。

それでときどき、カレンは私に手紙を書きます。その土地で買った絵葉書も同封されているのだけれど、ただ絵を見せたいだけみたいで、そこには何も書かない。別に便箋でまとまった長さの文章を書いてよこしてくれる。例えば、こんな風に。

マコ、私はいま地中海のほとり。Mediー中ーterraー大地ーneanなんていうけれど、これは全くの海。今日の昼に、そのメディ・テラ・ニアン・シーの海岸を散歩したんだけれど、それが凄かった。両側に、ほとんど視界をさえぎるものがなくてね、180度、海が見えた。そしたらその海って丸いんだ。そう、水平線は曲がっている。エラトステネスのいったとおりに、地球が丸いことが目で見て分かるんだ。そうするとね、ああ、自分は街の中にいるんじゃなくて、地球の上にいるんだって思う。そう思う時の沸き上がる気持ち、マコにあげたい。右手に少し突き出した陸地があって、そこには真っ白い風力発電機が回ってる。それが回転するのが、抜けるような青空の中でみごとに映える。私の頭の中では、メディ・テラ・ニアン・シーの反対側、古代アレクサンドリアで海を見たエラトステネスと、21世紀の新しい造形が二つで一つになる。人間の生きて来た歴史をたっぷり吸収してしまうほど、目の前のメディ・テラ・ニアン・スィーは漫々たる水量をたたえる。

なんて。手紙の中に手紙。マトリョーシカ式に書いてみました。リコには言わなかったけれど、カレンの手紙に私は結構救われている。毎日の繰り返しの中にいると、世界が一つの形しかとらないものだと無意識に思ってしまう(それが行き過ぎると、その世界に絶望して、自殺をしたりする)。 カレンは私の代わりに世界中を飛び回って、目の前にあるものだけが世界の全部ではないのだ、ということを私に分らせてくれる。それってすごく、私には大事なことなのです。

じゃあ、またね。

マコ