2017年10月20日

ある修道女の記録

冷たい地下図書室の中をコツ、コツと歩いて、一冊の本に出会いました。それは岩かげに咲いた黄菫(きすみれ)のように、陽陰のうちにある陽だまりのように見えました。

その本には、十九世紀のアフリカ大陸のある港、貧民窟で奉仕する修道女の一生が書いてありました。あの忌まわしき三角貿易によって作り上げられた港湾都市には、多くの宿無し労働者たちや、そもそも働けない人たちで溢れていました。そこへ降りたった幾人かの修道女の中に、その一団を率いる女性がいました。これは、その女性の人生の記録だったのです。その港で商人をしていた男が、その修道女と知り合い本を書いたのです。

私は頁をめくるにつれて、彼女への憧れと興味をましていきました。彼女は(彼女たちは)ほとんど元手のないところから寄付を募り、自分たちで畑を耕し、自分たちの食べ物を賄うところから、人々のお腹を満たすところまで辿り着き、行き場のないような人々が憩えるような家(メゾン)を建てたのです。彼女は言います。「私の話した言葉、行った事がら、訪れた場所のうちで、誰かのためにならないものは、私の人生ではないのです」。また彼女は言います。「愛を行う最大の方法は、犠牲ということです。毎朝私は、それを自分自身に問わされています」。

私は彼女の人生におこがましくも自分を重ねていきました。確か、初めてバリスタを志したとき、私が考えたのは「誰かの心を安らぎで満たすこと」だったのです。彼女はそれを、自分一生の使命として、厳しく追及した。私はその姿勢に胸を打たれずにはいられませんでした。

まだ本は途中なのですが、「どうしてこんな仕事に従事できるのか」と書き手である商人が尋ねたとき、彼女が答えた言葉を記しておきますね。それじゃあ、また。

「世の中は私たちが思っているよりずっと悪い。私たちの力では変えることは出来ないし、また、世の中が変わると考えることすらおこがましいと思っています。でも人生は眼鏡を通した風景のようです。風景は変えられなくても、私の眼鏡なら簡単に変えることが出来る。すると不思議なことに、風景まで変わってしまうじゃありませんか?世界は変わらない。けれど眼鏡をかけかえることは出来るのです」

マコ