2017年10月3日

竹林と私

リコ。真暗い夜空に虫の声が漂うようになり、この国も、いよいよ秋という感じです。リコは秋が好きでしたね。「あの、生命のすべてが終わっていく感じ。人間、誰しも一度は死に向かわなくてはならないということを、しみじみと教えてくれる秋。マコ、そう思わない?」振り向いたリコの背景には、眩しいくらい色とりどりの紅葉。私には、決して忘れることの出来ない光景です。

この間の水曜日、お母さんと月光寺に行ったのですよ。それこそ秋の風景の映えるお寺です。そのとき、私は頭が重たくて地面に垂れ下がるほどに疲れていたのです。それというのも、その前の週末、トモコさんはイベントで別会場へ出張で、私は一人で仕事場を回さなければならなかったのです。実際にやってみて分かったのですが、カフェに勤めるということと、カフェを経営するということの間には、信じられないくらい大きな距離があるのです。その一日、私が提供する商品やサービスに何か不完全な箇所があれば、それは一重に私の責任なのです。トモコさんは毎日そんな緊張感を背負ってカウンターに立っている。それを知ったことは、私にとって大きな学びだったと言わなくてはなりません。というわけで、私は神経を消耗していたのです。

勘のいいお母さんは、そんな私を月光寺に誘ってくれました。あそこには、たしかリコとも行ったことがあったと思いますが、庭を見ながらお茶をいただけるスペースがあるのです。この街の城主のおかかえ庭師が設計した庭。真ん中に池があって、右手に松と紅葉がせり出すように池にかかっている。毛氈(もうせん)の上にすっと背筋を立てて座り、お茶を頂くと、気分がすっきりし静かな深呼吸ができるような気がします。昔の禅僧はこうして瞑想へ向かう準備を整えたのでしょうか。しかし私も神経過敏なものです。お母さんが用意してくれたこの舞台だけでは十分にリラックスすることが出来ず、さらにお寺の森を散歩してみることにしたのです。お母さんはもう少し庭を見ていたいと言いました。そこで私は一人、散歩へ繰り出したのです。

お寺の裏手は右手が上り坂の斜面になっていて、檜がずっと植わっていました。反対側の左手は、平坦な土地の上に竹林が広がっていました。私は竹林へ歩きました。そして竹林の中に入ると、空を見上げてみます。竹の葉擦れのする中に、ダイヤモンドの形に区切った光がちらつく。それは竹のすべすべした表面に反射して、森の中をエメラルドの光で満たしていたのです。私は太くて丈夫な竹に、身を持たせかけました。ハシっと枝の擦れる音がして静かなささめきが響きました。私の意識は、だんだん鮮明に、透明になっていくような気がしました。竹林と私。竹は大気中の酸素で、静かに呼吸している。でも酸素をもとめて上へ伸びる前に、まずは根をしっかり張らなくてはならない。安定した根の上にこそ、安定した幹が伸びていける。そうだ。私は竹林の中で、大きくうなずきました。

マコ