リコ。春先に生まれた子猫たちが、彼らの人生を前に進めて、精悍とした首すじの快い、頼もしい若猫たちになりました。公園の棕櫚の陰、屋敷の塀の上に、今日も小さな放浪者たちが独り、足を忍ばせているのです。
今日はお盆に行ったお墓参りの話をしましょう。(リコも知っているとおり)私たちのお墓は市が運営する共同墓地にあります。草木を全部刈った丘陵の上へ、数千の墓標が、まるで等高線のように、また村の寄合の車座のように、立ち並んでいるのです。丘陵の尖端には「戦没者慰霊碑」と小さな東屋があって、私たちの水うみと街が、はるかに見下ろせるのです。
あまり行かれないお墓参りで、私たちは墓石を洗ったり草を抜いたり、ひとしきりの作業をしたあとで、お花を生け、線香をあげて、亡き人へ礼をたむけたのです。お墓の下には、リコの小さな白い骨が埋まっているにも関わらず、リコ、私はリコがそこにいるような感じはしないのです。私の感じによると、リコはもっと奥深く誰も知らない森の中に、雨になって降っているとか、そうでなければ星と星のあいだにあったり、また、私の心の中の深淵にいたりするような気がするのです。
お参りがおわると、お母さんがもってきた水筒をもって、私たちは山頂の東屋で休憩をとりました。丘陵のふもとからこちらまで、墓標の列が何段も見えました。それは顔のないフルート吹きたちのように、静かに笛を吹いているように見えました。笛の音のかわりに、金属的で涼やかな風が、草を揺らし、お墓のうしろに立っている卒塔婆をゆらし、こちらまで吹きそよいできました。墓地という死の集合体にもかかわらず、彼らが私を悲しい気持ちにさせることはありませんでした。むしろ、どこかにある遺跡が私たちに感じさせるように、懐かしい、永遠に思い出される人間の生きた名残りを私は感じたのです。
お盆に、二つの悲劇的な日付、そして終戦紀念日。私たちが最も死者に近づく夏の日でさえ、死は私にとって恐いものではない、すくなくとも理解不可能なものではない、ということを私は思いました。おそらく私たちは、長い間「死」の世界にいて、ときどき思い出したように、「生」の世界に生まれ出てくる。そこで肉体をもつことでしか得られない、様々な体験を重ね、また永い「死」の世界へと戻っていく。だから死とは、全ての人々にとっての故郷なのです。そう思って、私は自分が、死をそんなにも恐れていないということを感じました。そう考えることが出来たなら、人間の大きな苦悩のひとつが、いくらか軽くなるのでしょう。
ひとつ問題があります。たとえ死が、本来人間にとってあまり遠くにあるものでないにせよ、人の「死に方」は、その人を多いに苦しめることがあるのだということです。死の前にある痛み、そして死ななければならない理由(あるいはその理由のなさ)によって。痛みは、その当事者にしか分からないことだし、外からの者があれこれと評価するものではないにしても、人は痛みには苦しむより他に道はないし、痛みそのものによって死ぬことはないのです(私はそのことを、昨年ガンによって亡くなった私たちの叔父さんから学びました)。最も人を苦しめるのは、理由なのかも知れません。死の瞬間にあって、もしその人が自分の死を意識できるとしたら、「なぜこんなことで自分が死ななければならないのか」、「なぜ何の咎もなく、私が死ななければならないのか」という思いは、大きくその人を苦しめるのだと思います。
そう、私たちを苦しめるのは、理解できない死なのです。折しも共同墓地の山頂からは、この街を照らしながら、落ちていく夕日が見えました。あの赤い空の向こうに、今日もいくつもの「理解できない死」が生まれては消えていく。あの赤い空の向こうで、また「理解できない死」を量産するための準備が進められている。この赤い空の下で、それを抑止するための、殺人的な準備が進められながら。
盂蘭盆会を過ぎて。
マコ