リコ。私、大切な忘れ物をしていたのです。最近妙に寂しいなあと思っていたら、それは冷たい秋の風が、私の耳元を切なく吹きすさぶからではなく、大事な忘れ物をしていたからだったのです。大切な忘れ物、それはリコへの手紙です!年末の忙しさにかまけて、私はリコへ手紙を書くことを忘れていたのです!
リコへ手紙を書くことは、日常とは違う、もう一つのコミュニティ(つまり私とリコの姉妹っていう)を持つということなのです。例えば日常がダメな日でも、もう一つのコミュニティがあるという具合に、それは私にとって良い効果をもたらすのです。リコへ手紙を書くことによって、書いている私自身が癒されていると言えるのでしょう。
そうそう。最近思うことがありました。それは空の変わりやすさについて。神様は人間と鉱物と植物に、重力という足かせを課した。だから私たちは、地表面の狭いところ、人間なら海抜3メートルくらいまで、植物でも海抜15メートルくらいまでの層にちじかまっているのです。それと比べると、空の高さは何千倍もある。もし人間の目を離れるとしたら、世界の中心は地上にではなく、空の中心点にあるといってもいいでしょう。そして空は、重力からほとんど自由になった、気体と水蒸気の世界。気体と水蒸気が一日のうちに様相をがらりと変えてしまうことはあっても、液体と固体で出来た私たち人間が、一日の内に様相をがらりと変えるということはない。私たちが全く変態してしまうまでには、何十年とかかる。それが空では一瞬のうちに行われる。鳥のつばさのように広がった雲。霞みがかった雲。遠くで雨を降り注いで、地表にもたれ掛かって来る雲。雨。あられ。霧。虹。それに地球の自転という運動によって、空は一日の間に朝日から昼、昼から夕日へと移ろっていく。だから、空をみていると飽きるということがありません。熱と風、自転と水蒸気が織りなすイリュージョンを、いつまででも眺めていることが出来るのです。
昔の人々はそれを、歌に詠んだのでしょうね。
マコ