2017年5月9日

新しい人間のかたち

リコ。今日、リコのお墓に参りました。私の感覚では、リコはそこにいなくて、もっと私のおなかの中、暖かい土の中に眠る小さな種子みたいにしているような気がするのだけど、いちおう、そっちの世界とつながるのは、そこだってことになってるから。何をする訳でもない。ただ、会いにいったんだ。

そしてそこで、私はあることを考えついたのです。お寺の周辺は田圃と野菜畑。うららかな春の陽が、作物をやさしく温めていたのです。森の枝葉がさやさや、その葉はやわらかい土となって、畑への水を蓄えていくはずでした。気持ちのいい午後でした。森や風が、作物を育て、それを私たちが食べている。そうであるとしたら、私とは、皮膚の中に閉じ込められた肉じゃない。少なくとも私が手にとった作物までは、私の一部として、一続きなんだなって思ったのです。

もし、人間の定義を、皮膚に囲まれたものとする代わりに、「繋がり合っているもの」と考えたなら、人間はたくさんのことと繋がることで、自分を増やしていける。もし私の言葉で百人が動いたら、私は私の言葉と百人の行動を自分自身だと思う。そしてもし、皮膚に囲まれていたとしても、例えば、ガン細胞のように私の命に繋がっていないものがあったとしたら、それは本当の私ではないということになる。皮膚の内か外かで考えるより、一つの繋がりかどうかで考えた方が、人間の定義としては分かりやすいと思ったのです。

この考えは、私を感動させました。繋がりによって人間が形成されるのなら、リコはしっかりと生きている!私は自信をもって言うことが出来るのです。確かにリコはもう、何も言わないし、何もしない。でも、優しく、小さな母のようだったリコの精神は、私の心の一部に繋がっていて、私ではどうしようもないくらい、私に影響を与えている。それこそつまり、私の中に私でない、いわば「リコの延長」がいるということです。そうだ!私は一人と半分を生きている。こんなに嬉しいことがあったなんて!

マコ