2017年5月6日

鉛直方向のつながり

リコ。随分日が経ちました。たしか、前回お手紙を書いたのは、桜がまだ、咲き残っていた頃でしたね。私の家の近くの古風な屋敷の生垣には、もう、モッコウバラが咲く季節になってしまいました。どの花が一番好き?そう聞かれれば、モッコウバラかヤマボウシ(これは、花というよりも「ガク」というべきかも知れませんが)というくらいで、春の終わり、あるいは初夏、家々の垣根に角を取った柔らかい黄色の綿帽子がちらちらと咲き誇る。それを見ているのは、この世界に生きている中でも、大きな幸せのうちに含まれるのです。

今私は、本を読んでいます。昨日の半月を眺めていたら、久しぶりで北斗七星を見つけました。北の空に七つ、やはり規則正しく、星を読み上げることが出来たのです。「銀河鉄道」の連想から、私は本棚から昔読んだ「銀河鉄道の夜」(といってもそれは、他にもたくさんのお話が入っているのですが)を取り出して、夜風の涼しい静かな時間、その本を紐解いているのです。

宮沢賢治のお話の中では、「グスコーブドリの伝記」が一番好きなのかも知れません。自分の持てる才能を活かして学者となり、冷害を救うために人工的に火山を爆発させ、温室効果によって国を救う。それには火山を爆発させる人が必要で、その人は、生きて返れないかも知れない。でも、それがグスコーブドリの生きて来た意味だから、彼の勉強して来た意味だから、彼は最後の任務を実行する。「そういうものに私はなりたい」という、宮沢賢治その人の心のこえが聞こえてくるような気がするのです。

彼は自分に自信がなかったんじゃないでしょうか。だから、いつだって自分よりも他の人が先に来る。自分の権利なんて放棄して、最も全体の役に立つような生き方をする。

現代の私たちが、宮沢賢治の作ったお話に感動できるのは、彼が自分の置かれた運命を悩みぬいて悩みぬいて、なお行くべき方向へ足を進めようとしたからではないでしょうか。理科の授業で、「鉛直方向」というのをやりましたね。重力に従って錘(おもり)を吊るすと、地球の中心を指し示すその方角のことです。人間は地球の様々な場所に散らばって生きているわけですけれど、私達はそうやって、自分の「鉛直方向」を突き詰めていくものなのではないでしょうか。それは、全ての中心に繋がっていく。自分の問題をどこまでも深く掘り下げていけば、万人に共通の、大きな問題にぶち当たるんじゃないでしょうか。

宮沢賢治はそういうことをやった人だと思います。そんな人に、私もなりたいと思ったのですよ。

じゃあ、また。

マコ