2017年5月16日

あなたに受け継がれているもの

リコ。雨が降りました。近くの水うみからは、ビロードのカーテンみたいに霧がやってきて、私たちのカフェのある谷は、その霧に包まれてしまったのです。まぶたを閉じた時みたいに、もう何も見えないくらいだったから、私がその先に夢を幻視することは簡単だったのです。あれも、リコと一緒でした。小さなころ、お父さんとお母さんに大きな山へ連れて行ってもらい、その山は雲に飛び込むくらい高かったから、私たちは山の上にいて雲の中にいたのでした。幻視をみつつコーヒーカップを危うく操る私には、霧の向こうから草露と霧雨に濡れた小さなリコが、走り出してくるような気がしたのです。リコ、私はあなたの小さいときの姿を、どんなセンチメンタルな気持ちもなく、ただ微笑ましく懐古出来るところまで来たのですよ。

今はただ真っ白となってしまったカフェの窓辺に、一組の娘さんとお母さんが座っていました。カフェの店員が、お客の話を盗み聞きしてしまうというのは、あまり褒められたことではありません。だから私は、話の全部を聞いた訳ではないのです。でも私は、その親子を気に留めずには置けませんでした。なぜなら、娘さん(ちょうど高校生くらいに見えました)の神経質にうつむく姿が、私の昔の姿にそっくりだったからです。外側の世界に希望を見い出せず、かといって内側の世界に自信がある訳でもない。ただどこか、つかまるところが欲しいのに、与えられないまま崖の上に立たされている。そういう悲しみと、それを理解してあげたいお母さんの慈悲が、そのテーブルを覆っていたように思えたのです。「やりたいこと」、「意味」という言葉を、他の作業でそのテーブルを通るときに幾度か耳にしました。

学校生活に「なじめない子」というのでは簡単すぎる言い方になってしまいます。彼女の持っている力と、学校で求められている力が違っていて、学校で出される様々な課題に、それこそ彼女は「意味」を感じることが出来ていない、そのような話だと察することが出来ました。私はカフェの店員として、ただ、自分に還る空間を提供してあげることしか出来ません。しかしこれは、かつての私自身の問題でもあったのです。

私の場合は、大学のときのことでした。社会はピラミッドになっていて、いかにピラミッドの上位を占めるか。上位を占めたなら、次はいかに国際社会のピラミッドで上位を占めるか。あらゆる学課の根底にあるのは、このような考え方であるような気がしたのです。大学からの帰り道、シロツメクサを摘んでお部屋に飾るような暢気な私には、その世界観が重苦しくて仕方がなかったのです。私は、社会のメインストリームには乗れないのかも知れない。そう思ったのはこのときのことです。

この悩みは、あるときふいに解決しました。ものごとが解決するときというのは、大抵時間のスパンを長くするときか、空間の捉え方を広くするときのどちらかです。私は私の遺伝子を持った人たちが、何千年と絶えることなくこの遺伝子を運び続けてきたということに気がついたのです。つまり、社会の中心に立つには具合の悪い作りの「私」が、何らかの力を発揮して生き延びてきた。だからこそ私の遺伝子は今に伝わっているし、私には私固有の役割があったとさえ言えるかも知れない。私は、高校生の女の子には「持っている力」があると言いました。まさしくそのとおり。たとえすぐには見えなくとも、あなたに受け継がれた、何らかの力があるからこそ、あなたの遺伝子は滅ぶことなく綿々と現代まで伝えられているのです。

もし私が小説家なら、こんなテーマで小説を書くのかも知れませんね。でも私はカフェの店員だから、いきなりこんなことをしゃべりだしたら、おかしくてダメですね。ともかく、あの女の子の光るような未来を願って。

マコ