2017年5月27日
母の作った野草茶のこと
今朝の開店準備の時、ドクダミの花のついているのを見つけました。私たちのお店は川沿いに建っています(いつかも言いましたね)。それで橋の架かる暗がりに、ドクダミの花が咲いていたのです。赤と濃い緑の「毒」らしい葉と、それよりは驚くほどに可憐なドクダミの花。黄いろい房のようなめしべに、爽やかな白い花びらが、菱形に四枚。ちぎった葉には、僅かの酸味のうちに、鼻先で小粒の「碧めのう」を転がしたような、少し重ったるい薬草のにおいがしました。
私たちの母さんは、昔、よくドクダミのお茶を作りましたね。山の、きれいな水で育ったドクダミを摘んできて(それはなにか、実際のためになるママゴトのように、私たち二人を楽しく駆り立てたものでした)、日陰に何日も干していました。そうして出来たドクダミのお茶は、最初に少し甘いかと思うと歯にしみるほど苦くて、その苦い、茶色の液体は、私の身体の複雑に折り重なった細部にいたるまで、浸みわたり潤して、身体の中の悪い物質を押し流してくれるように感じました。リコはあまり飲まなかったし、試しに砂糖を入れて飲んでみてからは、ますます飲まなくなったけれど、私は母さんの作るドクダミ茶が、全身を洗ってくれる感じがとても好きでした。
そういうふうに暮らしたい、と私は思っています。季節に敏感であり、野山の恵みを生活に取り入れ、自然によって生かされている。いつか大学のときに学んだ「気功」の先生が言っていました。「自分の小ささに気が付かないで、自分が患者を治してやっているという考えで施術する人は、なぜか早死する人が多い。自分を一つの媒体とみなして、自然界の『気』を頂いて、患者の中に流して差し上げる、そういう風に仕事をする人は、いつまでたっても老けないし、早死したと聞いたこともない」そういう気持ちで、生きていたいと思うのです。
自然は小さな人間より豊かな生命力をもっているし、悪いものを浄化してくれる。この国の土は汚れてしまい、やがて水も魚も汚れてしまうでしょう。それにスーパーで出回っているほとんどすべてのものが、自然の働きに反した物質によって汚れているといってもいいかも知れない。リコ。私はそんな時代だからこそ、気功の先生がいったように、大きな力の循環の中に自分を置いていたいと思うのです。
マコ
2017年5月26日
あの空のプリズム、手の中のプリズム
リコ。佐藤初女さんの本を読んだことは、前に話しましたね。もう口を聞くのも億劫なほど悩み、疲れ切った人の、心をほぐしてしまう彼女のおむすび。それは一つの料理という以上に、この自然界の、いのちの連鎖をその人の身体まで伝えるもの、ではないかと思うのです。このおむすびが食卓に並ぶまでの、たくさんの恵み、たくさんの勤勉。贅沢にも、そうした大自然からの贈り物を口にほおばることによって、その人はもう一度、生きる勇気をもらうことが出来る。私たちのお店、カフェ・クッカでも、初女さんのおむすびのようなコーヒーを出さなければならないと、思うのです。
初女さんの生き方に影響された私は、何事もじっくり、丁寧にやってみることを心がけたのです。例えば朝の、玄関の水やり。水やりは、玄関マットの掃除、水やり、玄関掃除の一連の作業のパーツでしかありません。でも、それをパーツとしてただこなすのではなく、じっくり、丁寧にやってみる。「今日のお客さんを、あなたの美しい花で迎えて下さいね」と心に祈って。私は如雨露の小さな雨が、土の中に吸い込まれていくのを、測量技士のように丹念に見ていました。
もうこれくらいでいいだろうと思った時、ふと太陽の反射で、如雨露の雨に虹が立っていることを発見したのです。私は空を見上げました。空には大きな丸い太陽が、地上に朝日を注いでいました。太陽の光は、七色のプリズムに分解される。それが高い空で起こるのが「虹」という現象です。今、そのプリズムが私の手の中にある。私はそれを発見しました。大空に七色のプリズムを見せてくれる太陽の光は、やはり私の手の中でも、同じ成分のプリズムを光らせてくれている。だから空も、私のいるこの場所も、同じ太陽の成分に包まれているのだ。そう思えたとき、私は鳥のような自由を味わったのです。どこまでもどこまでも続く空を、果てしなく飛んでいく自由の鳥のような。
梅雨が始まりそうな予感です。それでも毎日太陽は上り、雲の向こうから私たちを照らしてくれるのです。
マコ
2017年5月23日
『小さき花のテレジア』
昨日のよる、洋燈の下で、佐藤初女さん(はつめさん)を読みました。有名な方ですね。青森のある山の麓で「森のイスキア」を営まれていた方。亡くなる前に、私も行ってみたかった森のイスキア。でも、そんなことは許されません。初女さんは、この社会に疲れ切って声も出ない人たちを何も言わず受け入れておられた方。私みたいに、まだ、自分で解決できる者は、初女さんの大事な仕事を邪魔してしまうことになる。それに初女さんならおっしゃったでしょう。「何も私に会いに来なくても、立派な人が世の中にはたくさんいる。それに美味しい季節、季節の野菜や、花々。そういうものはきっとあなたに生きる力を与えてくれるでしょう。もし必要なら、絵画でだって。神様のお恵みは、いつでもあなたの目の前に差し出されているのですよ」神様への信仰をもたない私には最後の一文が分からないけれど(といっても、この文章自体が私の想像な訳なのですが)、花々の彩り、空の果てしのない青さといったものに心の底を突き動かされることは、たぶん初女さんのおっしゃる「神様のお恵み」なのだと思います。
びっくりしたのは初女さんは17歳から35歳までの間、肺浸潤という病気を患っていたのだそうです。ちょっと体に重みがかかるだけで肺の血管が切れて血を吐いてしまう。血を吐きながら、学校へ登校したこともあるのだそうです。17歳といえば、まだ自我が尖塔の先っぽでぐらぐら揺れているような時期。その年齢で血を吐くような病気をするということは、常に死という恐怖との同居であったかも知れないのです。初女さんはその時、一つの本、『小さき花のテレジア』という本にたくさんの勇気をもらったということを書いておられます。この修道女テレジアは、24歳で病気のため(おそらく肺病のため)に亡くなっています。それでも初女さんは、「どんな苦しい中にあっても神様への愛を見失うことのなかったテレジア」と言っています。
私は考え込みました。本を閉じて、天井を眺めて。「神様への愛を見失うことのなかった」人。たぶん私だったら、愛するよりも愛してほしい。だって私は、こんなに苦しんでいるんだから。青春の真っ最中で、まだ何もしていない!25歳の誕生日を、迎えることが出来ないかも知れない!もっと、もっと愛して、優しくして!私がテレジアの立場だったら、きっとそう言ってしまった。でもテレジアは、というよりテレジアの心境に思いを託した初女さんは、愛されることよりも、愛することを努めた。たとえ運命が、どんなに彼女に悲劇をもたらしても。その奥にいます神様を愛すること。そんな信念が、私にあるでしょうか!
愛しがたきものを愛すること。それは、人生の奥義なのかも知れません。
マコ
2017年5月22日
バリスタにとって一番重要なこと
リコは覚えていますか。我が家の夏の恒例行事だった夏のキャンプのこと。真っ白なオーガンジーが降って来たみたいな明るい湖の畔で、二日と半分楽しく過ごしましたね。森に囲まれた湖は、山を染みわたる地下水脈のおかげで、いつも新鮮な水が湧き出していたから、私たちは水着をきて、浅瀬で水遊びをすることが出来ました。空と山の恵みである透明な水が、リコのふざけて躍らせた指の先で、きら、きらと輝きましたね。
あのときの湖の百倍はあるこの街の水うみの畔を走りながら、私は夜景を眺めていました。ハンドルを握りながら、思わずはずんでしまった、トモコさんとの仕事の話を思い出していたのです。トモコさんの話には、熱が入っていました。普段、事務的な話はよくするし、する必要があるんですけれど、今日のように自分がなぜバリスタをやっているのか、という話は話せるようでいて、なかなか話せない話題で、私にはとても貴重な一日でした。帰る時間が遅くなることを苦にも思わず、私はトモコさんとランプ一つ灯して、いつまでも語り合っていたのです。
トモコさんがなぜバリスタになったか、というよりなぜカフェを経営しているのか、については以前なんとなく聞いたことがあったのですが、その一部始終を(というのはトモコさんに失礼かも知れません。だって、言葉以上の感情がトモコさんの胸にはまだ伝え残されてあるのですから)聞いたのはこれが初めてでした。トモコさんは悩んでいたのです。ご自身では「病んでいた」とも言われました。それで、なにもかも手につかないから、ぶらぶら歩いて、カフェに入る。それで、考えても状況の変わらないような内容のことを何度も何度も考える。そういう日々を過ごしたのだそうです。そう言ってトモコさんは、ギュッとまかないのコーヒーカップを握りました。そういう日々を過ごしていると、だんだん入るカフェが決まって来る。そこに座ってコーヒーを飲んでいると(そこは奇しくも現在のカフェ・クッカと同じく川沿いのカフェでした。トモコさんは川に縁をもっているのです)、こんがらがった考えが波の静まるように穏やかになり、あるいは川の流れるように清らかになり、自分本来の価値観で、心から「好き」なことと「嫌」なことを見分けられるようになる。それは、今ではカフェ・クッカの理念(クレド)にもなっている、「自分に還ることが出来る空間」であったのです。自分に還ることで、トモコさんは自分の道を見つけた。それと同じ効果を、ここへくるお客さんには感じてほしい。そうトモコさんは言いました。その口から流れ出た言葉は、私の耳よりもお腹の中へ、ぐっと入っていったのです。
私にとって、バリスタとは何なのでしょう。私がこの世界を志すきっかけになったのも、やはり一つのカフェでした。まだオフィス勤めのころ、仕事が終わってはよく立ち寄ったカフェがありました。ジョン・レノンの『イマジン』を店の名にもったカフェでした。以前にも話しましたね。私は資本主義的な社会(と、私が勝手に考えている世界全般の仕組み)に馴染めない性質(たち)だから、よくそのカフェへ、水泳競技者が息継ぎをするように、一息つきに来ていたのです。そのカフェの存在によって、なんとかオフィス勤めを全うしていたといっても言い過ぎではなかったのです。そのカフェには、上質な豆があり、店主さんの丁寧な焙煎とドリップによってカップ一杯の滋養ある液が出来上がる。それは、そう、あのリコと過ごした夏の湖が、空と土に祝福された湖一杯の滋養ある液体だったのと同じように、農園の陽射し、コーヒーの木の栄養、幾つにも亘る職人たちの勤勉、それらを運んで、私に一杯のコーヒーを味わわせてくれたのです。それは店内の調度品や流している音楽にも言えました。上質な素材を使って、丁寧に作られたものと音の空間。この「資本主義的な社会」のうちにも、星のようにきらめくものが隠されているのかも知れない。そう思わせてくれるのが、そのカフェだったのです。
バリスタにとって一番重要なこと。それはそれぞれのバリスタにとって違って当然のことなのでしょう。でも私にとってバリスタにとって一番重要なことは、豆にしろ、空間にしろ、上質なものを上質なままでお客様に提供すること。それは、この世界が「生きるに値する」ものであると、思い出してもらうためのことなのです。子供のころの私たちに力を与えてくれた大きな湖とは違って、私が運べるエネルギーはたった一杯のコーヒー。もしかしたらデミタスカップくらいの小さなものかも知れない。でもそれが本当に美味しければ(つまり世界が生きるに値することを思い出させてくれるものであれば)、今よりもっと沢山の人たちが飲みに来てくれると思うのです。私はそれに賭けたい。実現しもしない空疎な大論を描くよりも、私はそれに賭けたい、そう思うのです。
最近リコとの小さなときの思い出を振り返ることが多くて楽しい。
マコ
2017年5月16日
あなたに受け継がれているもの
今はただ真っ白となってしまったカフェの窓辺に、一組の娘さんとお母さんが座っていました。カフェの店員が、お客の話を盗み聞きしてしまうというのは、あまり褒められたことではありません。だから私は、話の全部を聞いた訳ではないのです。でも私は、その親子を気に留めずには置けませんでした。なぜなら、娘さん(ちょうど高校生くらいに見えました)の神経質にうつむく姿が、私の昔の姿にそっくりだったからです。外側の世界に希望を見い出せず、かといって内側の世界に自信がある訳でもない。ただどこか、つかまるところが欲しいのに、与えられないまま崖の上に立たされている。そういう悲しみと、それを理解してあげたいお母さんの慈悲が、そのテーブルを覆っていたように思えたのです。「やりたいこと」、「意味」という言葉を、他の作業でそのテーブルを通るときに幾度か耳にしました。
学校生活に「なじめない子」というのでは簡単すぎる言い方になってしまいます。彼女の持っている力と、学校で求められている力が違っていて、学校で出される様々な課題に、それこそ彼女は「意味」を感じることが出来ていない、そのような話だと察することが出来ました。私はカフェの店員として、ただ、自分に還る空間を提供してあげることしか出来ません。しかしこれは、かつての私自身の問題でもあったのです。
私の場合は、大学のときのことでした。社会はピラミッドになっていて、いかにピラミッドの上位を占めるか。上位を占めたなら、次はいかに国際社会のピラミッドで上位を占めるか。あらゆる学課の根底にあるのは、このような考え方であるような気がしたのです。大学からの帰り道、シロツメクサを摘んでお部屋に飾るような暢気な私には、その世界観が重苦しくて仕方がなかったのです。私は、社会のメインストリームには乗れないのかも知れない。そう思ったのはこのときのことです。
この悩みは、あるときふいに解決しました。ものごとが解決するときというのは、大抵時間のスパンを長くするときか、空間の捉え方を広くするときのどちらかです。私は私の遺伝子を持った人たちが、何千年と絶えることなくこの遺伝子を運び続けてきたということに気がついたのです。つまり、社会の中心に立つには具合の悪い作りの「私」が、何らかの力を発揮して生き延びてきた。だからこそ私の遺伝子は今に伝わっているし、私には私固有の役割があったとさえ言えるかも知れない。私は、高校生の女の子には「持っている力」があると言いました。まさしくそのとおり。たとえすぐには見えなくとも、あなたに受け継がれた、何らかの力があるからこそ、あなたの遺伝子は滅ぶことなく綿々と現代まで伝えられているのです。
もし私が小説家なら、こんなテーマで小説を書くのかも知れませんね。でも私はカフェの店員だから、いきなりこんなことをしゃべりだしたら、おかしくてダメですね。ともかく、あの女の子の光るような未来を願って。
マコ
2017年5月15日
この星の行進
花を心に留めて暮らしていると、時間の流れに沿って現れる、命の移り代わりが目に付くようになります。それはあたかも、この星の行進(マーチ)のように、一つの目的へ向かって進む荘厳な隊列です。朽ちては咲き、咲いては朽ちる生命の円環の中に、絶え間ない行進曲(マーチ)が流れているのです。私はその曲に耳を澄ませます。すると「命」の声がします。「どこへ行くの」と私は聞きます。すると「命」と答えるのです。
一つひとつの花々は、咲いたり枯れたりしてしまいます。けれども、一つひとつの死を超えて、一続きの大きな潮流がある。その流れの中に、私たちの全ては、かりそめにも、咲いている。そう思うことは、何か優しい大きな手で背中を押されるように、私を強く前へ進ませてくれる大きな力になるのです。
マコ
2017年5月11日
一人で光れない人たちのために
リコ。満月がきれいでした。月の灯りで青白い空には、飛行機雲のような薄い雲がかかって、雲の水平線の中へ、月が沈んでいくように映ったのです。
私はいつでも、月のようなものが好きでした。例えば夜空や、生き物の気配のしない冬の雪原。きらきらと輝く太陽のようなものたちではなく、深く、静かに潜っていくものが好きだったのです。
小さい頃、お絵描きをするとき、私はいつも三日月の夜空を書きました。リコは南の国の太陽でしたね。三日月には魔女が似合うから、私はよく魔女も描きました。そして黒猫も。黒猫を連れた魔女の映画が流行った年のクリスマスには、私は黒猫のぬいぐるみをもらいました。リコは、胴体が空洞になって人の乗ることが出来る猫のバスをもらいましたね。私はその黒猫をとっても大事にして、映画で出て来たとおりの名前をつけ、お風呂に入れてやっては、縁側の新聞紙の上に立てかけて乾かしたものでした。今、二つのぬいぐるみはあの時の気持ちを思い出させるものとして、私の部屋の箪笥の上に、大事においてあります。おおらかで、いろんな人をどこまでも運ぶ明るい猫と、魔女に養われる物静かな猫というペア。
月というものには、不思議な性質があります。自ら光っていながらその実、他人の光がなくては光っていくことが出来ないのです。半面だけに光を受けているから、角度によって半月に見えたり、三日月に見えたりする。誰かに照らされつつ、その光を次に伝えるという存在。私が月を好きな理由は、多分そのあたりにあるのです。リコは、子どもの頃から太陽のようで、猫のバスが妙に似合いました。私はそうではなかった。いつもリコや、そのほか太陽の世界に属する人たちの光を受けて、やっと生きている存在だったのです。
一人で光ることの出来る人には、やはり太陽のような役割があります。この国の一番の神様が太陽の神様であるように、太陽はこの世界をあまねく照らさなければならないのです。
しかし、一人で光れない人たちのために、私は思うことがあります。自分で光れないということは、果たして「弱きこと」だろうか。自分で光る人は、その「個性」を燃やしているのです。しかし一人で光れない人は、自らは「鏡」となって、自分ではない、場合によっては「個」よりも大きなものの輝きを伝えることが出来るのです。大自然の輝き、豊かな人の心ざし。そういうものに照らされて、「間接的に」それらを世界に映し出すこと。それが一人で光ることが出来ない人に与えられた、大きな役割だと私は思うのです。
マコ
2017年5月9日
新しい人間のかたち
リコ。今日、リコのお墓に参りました。私の感覚では、リコはそこにいなくて、もっと私のおなかの中、暖かい土の中に眠る小さな種子みたいにしているような気がするのだけど、いちおう、そっちの世界とつながるのは、そこだってことになってるから。何をする訳でもない。ただ、会いにいったんだ。
そしてそこで、私はあることを考えついたのです。お寺の周辺は田圃と野菜畑。うららかな春の陽が、作物をやさしく温めていたのです。森の枝葉がさやさや、その葉はやわらかい土となって、畑への水を蓄えていくはずでした。気持ちのいい午後でした。森や風が、作物を育て、それを私たちが食べている。そうであるとしたら、私とは、皮膚の中に閉じ込められた肉じゃない。少なくとも私が手にとった作物までは、私の一部として、一続きなんだなって思ったのです。
もし、人間の定義を、皮膚に囲まれたものとする代わりに、「繋がり合っているもの」と考えたなら、人間はたくさんのことと繋がることで、自分を増やしていける。もし私の言葉で百人が動いたら、私は私の言葉と百人の行動を自分自身だと思う。そしてもし、皮膚に囲まれていたとしても、例えば、ガン細胞のように私の命に繋がっていないものがあったとしたら、それは本当の私ではないということになる。皮膚の内か外かで考えるより、一つの繋がりかどうかで考えた方が、人間の定義としては分かりやすいと思ったのです。
この考えは、私を感動させました。繋がりによって人間が形成されるのなら、リコはしっかりと生きている!私は自信をもって言うことが出来るのです。確かにリコはもう、何も言わないし、何もしない。でも、優しく、小さな母のようだったリコの精神は、私の心の一部に繋がっていて、私ではどうしようもないくらい、私に影響を与えている。それこそつまり、私の中に私でない、いわば「リコの延長」がいるということです。そうだ!私は一人と半分を生きている。こんなに嬉しいことがあったなんて!
マコ
2017年5月8日
星空の下の孤独
カフェ・クッカから、川が見渡せる、というよりもこのカフェが川に沿って建っているという話はもうしたでしょうか。カフェ・クッカは、川辺の古民家の二階に店を構えているのです。その、窓から見下ろせる川の柳に、子猫が一匹雨宿りしていました。毛の先っぽは濡れて、早く乾かさないと風邪を引いてしまいそう。それでも猫は丸く座り込んで、ときどき周囲を見渡しては目を細めるのです。
仕事場からの帰り道、その猫の形象(イメージ)が何度となく思い起こされました。雨はもう上がって、急ぎ走る黒雲の隙間から、星がちらちらと見え隠れしていました。この暗く大きな星空の下で、猫も私も、本来孤独な生き物なのだという考えが浮かんで来たのです。「家族」という生物的な制度に守られてはいても、それは変わるものだし、絶対的なものじゃない。この大空の下で、本当は誰もが孤独なのです。そこには恋愛でも埋め合わせられないくらいの、大きな穴が空いている。
ちょうど喉が渇いていて、道端に自動販売機を見つけたので、私は車を停めました。カフェ・クッカからの帰り道として、湖畔を「通らない」ほうの道から帰っていたのです。そこは民家もまばらな田園地帯で、車を停めると遠くの森がさやさやと揺られる音が聞こえました。私は缶コーヒーを買って(カフェの店員としては、缶コーヒーはコーヒーとは違う別種の飲み物だと思うのです)、しばらく身体を車に持たせかけていました。
私は孤独ということについて考えていました。いいえ、孤独ということを感じていました。恋愛でも家族でも埋め合わせることの出来ない大きな穴は、見ないようにしているだけで、振り返ればすぐそこにある。夜空は容赦なく、この小さな私を寒空の下へ投げ出してしまいました。そして、猫も。リコも。
その時私は、星々の美しいことに気がついたのです。黒雲が馬のように駆けて、その間にちらちらと光る星々。夜空は二つの手を持っている。暗黒の、生物を突き放すような父の手。そして、優しい光で、生物を包み込むような母の手。私は夜空を恐れると共に、好きになることが出来る。缶コーヒーを飲み干すまでの間、私は星々に元気をもらって、また孤独な夜を乗り越えることができそうなのでした。
マコ
2017年5月6日
鉛直方向のつながり
リコ。随分日が経ちました。たしか、前回お手紙を書いたのは、桜がまだ、咲き残っていた頃でしたね。私の家の近くの古風な屋敷の生垣には、もう、モッコウバラが咲く季節になってしまいました。どの花が一番好き?そう聞かれれば、モッコウバラかヤマボウシ(これは、花というよりも「ガク」というべきかも知れませんが)というくらいで、春の終わり、あるいは初夏、家々の垣根に角を取った柔らかい黄色の綿帽子がちらちらと咲き誇る。それを見ているのは、この世界に生きている中でも、大きな幸せのうちに含まれるのです。
今私は、本を読んでいます。昨日の半月を眺めていたら、久しぶりで北斗七星を見つけました。北の空に七つ、やはり規則正しく、星を読み上げることが出来たのです。「銀河鉄道」の連想から、私は本棚から昔読んだ「銀河鉄道の夜」(といってもそれは、他にもたくさんのお話が入っているのですが)を取り出して、夜風の涼しい静かな時間、その本を紐解いているのです。
宮沢賢治のお話の中では、「グスコーブドリの伝記」が一番好きなのかも知れません。自分の持てる才能を活かして学者となり、冷害を救うために人工的に火山を爆発させ、温室効果によって国を救う。それには火山を爆発させる人が必要で、その人は、生きて返れないかも知れない。でも、それがグスコーブドリの生きて来た意味だから、彼の勉強して来た意味だから、彼は最後の任務を実行する。「そういうものに私はなりたい」という、宮沢賢治その人の心のこえが聞こえてくるような気がするのです。
彼は自分に自信がなかったんじゃないでしょうか。だから、いつだって自分よりも他の人が先に来る。自分の権利なんて放棄して、最も全体の役に立つような生き方をする。
現代の私たちが、宮沢賢治の作ったお話に感動できるのは、彼が自分の置かれた運命を悩みぬいて悩みぬいて、なお行くべき方向へ足を進めようとしたからではないでしょうか。理科の授業で、「鉛直方向」というのをやりましたね。重力に従って錘(おもり)を吊るすと、地球の中心を指し示すその方角のことです。人間は地球の様々な場所に散らばって生きているわけですけれど、私達はそうやって、自分の「鉛直方向」を突き詰めていくものなのではないでしょうか。それは、全ての中心に繋がっていく。自分の問題をどこまでも深く掘り下げていけば、万人に共通の、大きな問題にぶち当たるんじゃないでしょうか。
宮沢賢治はそういうことをやった人だと思います。そんな人に、私もなりたいと思ったのですよ。
じゃあ、また。
マコ