2017年3月26日

見えないものを見るちから

リコ。春はずんずん行進してきます。家の隣にピンク色の桜みたいな花が咲いていたのですけど、隣のおばさんに聞けば、杏の花なんだそうです。はじめて見たんですよ。杏の花なんて。仕事の方は忙しい。春になって、花鳥風月みんな動き出す(風月はちょっと違いますね)、その中に人間という動物も含まれています。誰だって暖かくなれば、外に出たい気持ちを押さえられないんです。

今日の夜、星空を見ていたら、昔リコといったプラネタリウムのことを思い出しました。上映が始まる前、リクライニングのシートを倒して薄暗い天蓋を眺めます。あれは不思議なものですね。ここにいる私と、天蓋との距離が実際にどのくらいあるのか分からなくなってくる。私は屋内にいることを忘れて、これから宇宙そのものを見るんだっていう気になったんです。そして辺りが暗くなります。真ん中のロボットみたいな映写機が動き出します。そうすると不思議に、映写機が動いているようにも見えるけれど、視点を映写機に固定しているとプラネタリウムのスクリーンが回転を始めたようにも見えるのです。そのあとすぐ、星が写し出されます。すると私は、本当に星空の下をゆく船にいるように感じたのです。子どもの時は、目に映る様々なものがはじめてで、ものを見る「くせ」がついていないのです。もう今だったら、プラネタリウムは円形のドームの上へ映写機から投影される光の点を鑑賞するものだくらいにしか思うことは出来ないのです。それって、少し寂しい気がします。子どもは一のことを十に出来る。だから毎日が、毎日とは言わないまでも、数々の日々のなかで、一日を24時間以上のものに出来る。私は思うのです。この見えないものを見るちからがあれば、人はどんなところだって生きていけるって。私は今それを思い出そうと必死の毎日です。

じゃあ、またね。

マコより