2017年3月17日

『さきちゃんたちの夜』

リコ。梅が咲いていました。いよいよ春が始まるのです。リコはコノハナサクヤヒメを知っていますか?天皇の先祖にあたる(という話の)神様が天からこの国に降りてきた時、その神様は美しい娘に恋をする。そして二人は結ばれるのです。それがコノハナサクヤヒメ。この国の始まりが、つぼみの開くのに重ねられたようなこのお話に、私はなんだかじんわりと惹かれるものを感じるのです(このお話には、少し冗談めいたバッドエンドが待ってもいるのですが)。

カフェ・クッカの近くに温泉があるので、この頃のお客には卒業旅行なんかを目的にしたお客さんが多いようです。あるお客さんはバイクで九州を縦断して、この街まで来たと行っていました!また、ある人は静岡から京都と神戸をまわり、この街へ。旅というイメージが、私の中に強く印象づけられました。裾の長いコートに、皮のトランクを持って、電車で旅をする。旅は、全てを新しくします。つまり、私は移動しているただの物質になって、土地との関係も、今までの過去も、一度なかったことにする。その感じが、爽やかな風を部屋に取り入れるときのように、私にはとても心地良いのです。私が去年行った京都の旅を思い出します。その電車の中で、私が読んだ本。今日はその話をしましょう。それは、「自分だけの世界をもつということ」を実践した、ある女性のことを書いた本だったので。それはよしもとばななの『さきちゃんたちの夜』といって、少しずつ名前の違う6人の「さきちゃん」たちが登場する5つの短編集です。その中に出てくる「鬼っ子」という物語は、今思えばこんなことを考えるもとになった話なのかも知れません。そこには、「ある理由」から小さな鬼の偶像を何体と作り続けるおばあさんが出てきます。もうかなりの高齢なのに、誰も迎えず、誰にも会えず、ただやりたいことのために自分の全ての時間をつぎ込んでいく。それは鬼を作ること。何にも知らない人が見れば、少し気の変なおばあさんだと思われても仕方ありません。でも彼女は、孤独に耐えて、鬼を作り続ける。それが彼女の中に自分だけの世界を作っていたのです。彼女がなぜ「鬼を作っていたのか」は内緒ですけれど、私はいつか、こんな人になりたいと思いました。自分の出来る範囲の中で、それを見た人が「生きることは意味のあることだ」と思えるような何かを作り続ける。それだけが、自分を支える力になるし、もしかしたら、他の誰かを支える力になるかも知れない。私はそう考えます。

また読み返してみようかな。それじゃあ、また。

マコ