リコ。かなり温かくなってきました。春分が過ぎて、文字通り春が始まります。仕事が忙しくなって、一度にたくさんのお客さんが来たときなんか、なにか頭の中に光る液体が流れているように、意識がぼんやりとしてくるのです。それでも、負けるわけにはいきません。自分で選んだ道なのですから。
仕事が辛いとき(今の仕事に限っていえば、そう思うことはごく稀だというのは、なんて私は幸せものなんでしょう)、ある言葉を思い出します。それは最初に勤めていた会社で、ふつふつと燻っていた時に思い付いた言葉でした。私のはじめての就職はなかなか決まらず(この時点で、自分が今の経済システムに適応しにくい人間だったと気がついていてもよかったのかも知れません)、最後にやっと決まった会社は、よく分からない金属を輸入する会社でした。一日中オフィスに籠って仕事をしているのですが、その「よく分からない」金属が、誰をどのように喜ばしているのか、はたしてそれで誰かが幸せになっているのか、とんと検討がつかなかったのです。検討のつかない仕事をするのは、私には苦痛でした。なんとか三年、食らいついてみようと思いました。その、身体を半分会社に食べられてしまったような三年間は、私を強くする傷として、私の人生に少なからぬ痕跡を残したのです。
ストレスが溜まって、ふとコンビニによってスミノフなんか買って、飲みながら歩く。空を見上げると、珍しく満天の星空でした。そのとき、私は思い出したのです。はじめての海外旅行、しかも一人っきりの海外旅行。行き先はタイでした。賑やかな屋台の行列、道端に座り込む乞食、いつも手荷物に気をつけていないと済まないマーケット。そのどんな思い出のなかで一際鮮明に記憶されているのは、バイクの上から見たタイの星空でした。少し日本語の出きる女の子のガイドを雇って、私はマーケットや寺院を回りました。ちょっと早い夕食を彼女に奢ってあげて、私たちはあんまりはしゃぎ過ぎたのです。もう外は真っ暗で、帰るのが心配なくらいでした。ガイドの彼女は「だいじょうぶ」といって、近道するけどいいかと英語で聞いたのです。「オーケー、アイ、ドン、ケア」私がいうと、彼女は田んぼの中に走る道をバイクで疾走したのです。街の方からはずいぶん離れて、人家もない、街灯もない、光るものはバイクのヘッドライトだけでした。私は彼女に掴まったまま、空を仰ぎ見ました。風で髪がびゅうびゅう揺れました。その時見た星空は、まるで宇宙そのものの輝きのように、私の目前に迫ってきたのです。人間たちは光を発明した。その代わり、こんな大事なものを、失ってしまったのだ。私はそう、思ったのです。
そんなことを考えながらスミノフを飲んでいると、お酒が回ったのもあったのでしょう、「人生は旅なのだ」という考えを閃いたのです。そう、私はこの世界の可能性を見てみたくて、全てのものを初めて見るように見てみたい。あのとき見た、信じられないくらい美しかった夜空も、今日の夜空もこの街の夜景も。まるで旅人のように、新鮮な驚きをもってみていたい。そう思ったのです。なら、仕事をするのはそれを見るためだ。私は家もある、定職もあるけれど、身分は旅人、移動をしない旅人だ。移動はしないけれど、今日寝るところ、食べるもののために働かなければならない。だから私は「稼ぎながら旅をしている」。そう考えられたとき、少しだけ仕事が苦ではなくなったのです。与えられた24時間は、私の旅のためにある。その中で珍しいことにも出会うかも知れない。もちろん仕事中だって。そうして私は、社会人としての第一関門を突破したのです。
「稼ぎながら旅をしている」。今日はそれを思い出したので、手紙を書きました。それじゃあ。
マコ