2017年7月20日

もがいたり、しがみついたり

子供の頃から、思っていました。この世界は、なぜこうも残酷なのか。この世界は、なぜこうも冷たくて、寂しいのか。今日もまた、どこかで銃声が響く。ある人がナイフで刺され、ある人は轢き殺される。沈んでいく夕日を見ていると、あの赤い空の下に、遠い町のどこかで、何千人もの苦しみがあるのだろうと、私は思いました。私の命の、一日分の終わりを告げる夕日が、どうしてもそんな気持ちにさせたのでしょう。

リコ。この世界は急流のようだと思いませんか。生まれた時、私たちは幸運にも「自由」を与えられて生まれてくる。その「自由」で、どこまでも水面を往くことが出来るように幻想する。やがて時が経つにつれて、あるいはある歴史的な一日を境に、自分が激流のただなかにあることを知る。私たちは「自由」であるといいました。でもその「自由」は、人によって大きく違うのです。例えば激流の中でも、親から安全な舟を受け継いでいる人もいる。そうでなくても、彼らの人生の中で「舟」を手に入れる人もいる。その舟の外には、大勢の人々が、急流に流されようとしている。ある者はもがき、ある者はもがくのすら諦め、何かつかまれるものにしがみつこうとする。そして・・・・・・、当然、死する者も。「舟」を手にした人は、その舟が一人乗りであることに気が付かない。舟の外で数々の惨劇が起こっていても、誰も乗せてあげることが出来ない、悲しい乗り物であるということを、知らない。

リコ。これが私たちの世界です。舟を得る人はごく限られた人だけです。私たちはたいてい、なんとかもがいたり、しがみついたりしている。リコ。すべての優しい芸術は、このような人々のためにあるのです。そしておそらく、濁流に吞み込まれ、帰らなくなった人たちのために。それは彼らの生きる様をやさしく見守って、そっと背中を押す。舟は手に入らないかも知れないけれど、この冷たい河の中で、生き残るために必要な熱を、配ってくれる。そういうものだと、私は思うのです。

マコ

2017年7月17日

時の凪

リコ。カラーコーディネイターの勉強は順調です。お店のファサード、内装を見ると、つい色合いが気になってしまい、私ならこうする、と考えるのです。自分が意識したものごとは、日常の中で浮かび上がって見えるものです。花が土から栄養を吸い取るように、私は日常の中から栄養を吸い上げていくのです。なんと素敵なことでしょう。

この前の水曜日、買い物に映画に、あれやこれやと歩き回って、疲れてしまったのか、午後は仮眠をとりました。ちょうど夕の七時前だったでしょうか。ねむの木の花がぽっと咲くように目を開いた私は、夕雲の赤から紫へ、紫から焦げ茶、グレーへ変わっていく様子を、目だけ開いたままずっと追いかけていたのです。小さく開けた網戸からは、山の木陰で冷やされた涼やかな風が、神のお恵みのように吹き込んでいました。

私はこの瞬間を永遠のように感じました。風が吹いているのに「凪」とは変ですが、今は凪の時、いえ時の凪がやってきたように思えたのです。私はこのようなものたちに出会うために生まれ、今、こうしてこの世界のきらめきに対峙している。私は夜ごはんを食べるのも後回しで、この夕闇を見送っていたいと思いました。二十四時間、三百六十五日。私たちはどれだけ、このような瞬間に巡り合うことが出来るでしょう。

マコ

2017年7月7日

生まれてくる前に見た夕焼け

雨降りのあじさい通り、夏の花火の最後の一玉、金色に光る草原の夕焼け。まるで、生まれてくる前の、その最後の瞬間に見た夕焼けのように私の胸を突く。リコにはそんな風景がありますか。小さい頃、お父さんとお母さんといった山の原っぱで、シロツメクサを摘んで摘んで寝転んだ空に、子羊のような白雲。私たちの共通の記憶が、リコにとってかけがえのないものであったなら、妹はどんなに嬉しいか。

リコ。私は今、泣いています。

マコ

2017年7月6日

洪水の中で

リコ。色彩の試験を受けるといいながら、こうして手紙を書いています。私の年齢がリコに追いついた日から始まったこの手紙も、もうすぐ一年。書く日もあれば、書かない日もあったけれど、リコへの手紙は、私の日常のリズムに組み込まれてしまって、もう書かずにはいられないのです。

今、この国のある地域で未曾有の大雨が降って、地盤は崩れ、川は氾濫し、道路は寸断されています。まるで一つの終末絵図のようなあり様です。そう、本当にノアの洪水のような。

このような、世界のどこかで誰かが苦しんでいるという状況で(といっても、それこそが世界の常態なのですが)、私はいつも、ある冷たい哀しみに襲われます。もし自分がその災厄に直接関わっていないとしたら、ほとんど全ての同情は体のいい偽善でしかないのです。その浅はかさに、哀しみを感じるのです。例えばテレビで、被災地の状況が報じられます。キャスターは深刻そうな顔をして「どうか皆さんが無事であることを祈ります」と言います。視聴者もそれに同調して、深刻そうに被災地のことを思う。だけどその数分後、テレビではプロ野球の結果がにぎやかに読み上げられ、さっきの同じキャスターが「〇〇投手、3連勝です!」なんて、ニコニコしている。お茶の間の雰囲気もそれと同じで、被災地への同情はもう、忘れられる、「もし自分がその災厄に直接かかわっていないとしたら」。もし本当に被災地のために胸を痛めるとしたら、仕事を投げうってでも、とにかく現地にいって、貯金を削りながら、復興の目途がつくまで働かなければいけない。それが出来なければ、その地域がもう大丈夫だとなるまで、信頼できる機関を探して、毎月送金しなければならない。本当に誰かを救いたいのなら、それだけの覚悟、息の長い覚悟が必要なのに、たった一時の薄い同情で、善人を貫いたような顔をしている。それが偽善だと私は思うのです。私の冷たい哀しみというのは、この偽善の底に横たわっているのです。本当はみんな、そんな聖人にはなれないのです。自分のことを全うするだけで精一杯で、誰かのために献身的態度を持続することは、精神的にも、物理的にもほとんど不可能なのです。この世界の洪水の中で、私たち一人ひとりが乗っているボートは、はるかに小さい。自分一人くらいしか乗せられない、哀しくて寂しいボートなのです。

十年ほど前、山火事を消すために飛び回ったハチドリの話が流行しました。その話はこうです。ある日、森で山火事が起こります。小さなハチドリのクリキンディは、その小さなくちばしでひとしずくの水を運びます。何をしているの?周りの動物は聞きます。火を消すの。クリキンディの答えに動物たちは大笑いします。でも、とここがこのお話の一番重要な部分なのですが、クリキンディは答えるのです。「私は私に出来ることをやるだけ」

私はこのお話を哀しく思い返します。私たちは洪水の中の小さなボートなのです。クリキンディは、山火事を消そうとする。でも山火事はそんなことで消えるほど、甘いものではない。それこそクリキンディのひとしずくは、とたんに「洪水」に呑み込まれてしまうだけです。それを知らないクリキンディが、あるいはそれを知ってなお挑みかかろうとするクリキンディが哀しいのです。

この世界に住む私たちに、洪水は止めることが出来ない、というところから始めなければなりません。そして、遠くの人へ、叶いもしない(偽善的な)祈りを捧げるかわり、私たちは自分たちのボートを拡げることを考えなくてはなりません。それは私たちの半径一メートルから始まるのです。そうして自分たちの生活の中に、どうにか息の出来る空間(スペース)を広げていく。それが「私に出来ること」の本当の意味だと思うのです。

マコ

2017年7月3日

美の耕作者たち

リコ。今日、久しぶりで早起きしてしまいました。梅雨の空気は体育館のマットのように重く、私たちの頭の上へ延べられてしまいました。せめてさわやかな朝を感じられはしないかと、近くのお寺の清涼院と、そのまわりを散歩したのです。仏教で、「清涼」とは「救い」を表す意味なのだそうです。たしかに時々空から炎が降ってくるようなこの世界には、「清涼」とした場所が必要なのかも知れません。

モスグリーンの石畳を歩き、清涼院の門を出ると、近くの小学校をとおり過ぎて帰りました。すると、校庭にそった躑躅の垣根の、ずっと前の方にうごめく影が見えました。なにか地面に穴を掘る人のような、そんな動く影でした。こんな朝早くから、いったいなんなのだろう。私は訝りながら、垣根に沿って歩きました。その影がはっきりしてくると、それは一人のおばあさんだということが分かったのです。躑躅の垣根の一角に、ひまわりが植わっていたのです。花はまだついていなくて、葉っぱだけでは瑞々しいとも美しいとも、なんとも言われないひまわりです。おばあさんは、そのひまわりに支柱を立ててやり、ビニールタイでひまわりを支柱にもたせかけていたのです。「おはようございます」。私は思わず言いました。こんな朝早くに、自分のものではないひまわりに、手をかけている人がいるなんて。誰にも見られずに。誰にも知られずに。私はなんとも言えず、感動してしまったのです。

世界はきっと、そういう風にして少し少し美しくなっていくのだと思います。

この世の中には、誰もに開かれた美の田園が、姿を隠すようにして存在しているのです。それは人々の記憶の中に、あるいはそれを暗示する様々な美の断片として。それは本物の自然がそうであるように、人々の心を豊かにする田畑なのです。そういうものを言葉に現すのが詩人だし、それを土の中から掘り出すのが陶芸家であり、家々をその収穫物で満たすのが花屋さんなのです。そして今朝のおばあさんも、小さな貢献者として、そんな美の田園を耕していたのです。

今日も街のどこかで、美の田園を耕す人たちがいる。そういう人たちが存在していると知ることは、私に勇気を与えてくれるのです。

マコ

2017年7月2日

胎動のとき

リコ。梅雨が、始まりました。私も何かを始めようと思いました。飲食店にとって、梅雨はあまりありがたくない季節です(雨は、個人的に好きなのですが)。お客さんは少ないし、食中毒の危険も高まるのです。まあ、大まかにいって負担の少ない毎日が始まるのですから、私は自分の目標であるカフェの運営に向けて、一歩を踏み出してみることにしたのです。外側のものごとは、往々にして動かしがたいものですが、自分の考え方しだいで、やるべきことはあるものです。

さて、カフェの運営については、毎日トモコさんを見て学んでいる。あとは、自分のつくりたい「空間」をつくる技術、つまりインテリアの勉強をしなければならないと思ったのです。だったらインテリアコーディネイター?と思った私に、「違う!」ともう一人の私が言ったのです。「インテリアの本質は色なんだよ。色のことをしらなきゃだめ」声はそう言いました。確かにフランスの老画家、色をこよなく愛し、色にさんざん苦しめられたある老画家が、人生のほとんど最後に作った作品は、礼拝堂という「建築」でした。色を究めたその延長に、建築があるのは不思議なことではないのです。

その老画家の作品に『JAZZ』といういわば、彼のポートレートのようなものがあります。単色ベタ塗りの紙を、切り絵にして重ね合わせて一つの「絵画」を作る。そうして出来た何枚もの「絵画」で構成されたのが、その『JAZZ』という作品なのです。ときどき元気がなくなると、私はこの作品を眺め、そしてまた、現実へ戻ってがんばろうと思えるのです。たとえば夏至の、太陽の白。黒猫のしっぽの、柔らかな毛なみ。南洋の島々に生える、大うちわのようなバナナの葉っぱ。老芸術家が人生で出会ったたくさんの色が、記憶の中から飛び出し、踊り出すのです。そのとき私は、世界がこんなにも美しい場所だったことを思い出すのです。

画家の話になってしまいました。でも色にはそんな力があると思うのです。だからこそ、その老芸術家は、色に一生の情熱をかけることが出来た。そういう訳で、私はカラーコーディネイターの試験を受けてみることにしました。リコへの手紙も、しばらくは書けないかも知れません。一段落、落ち着くまでは。ごめんなさい。あらかじめ謝っておきます。

マコ