リコ。やっと晴れました。青空の下で太陽に照らされた雪から、雪解けの雫がひっきりなしに落ちていきます。どういう訳か、お客さんが来ません。寒いと暖かいものが飲みたくなって、カフェに立ち寄る、そうでなければ来ない。今日はそんな「ルール」が当てはまる日なのかも知れませんね。トモコさんが「ちょっと休憩してきて、いいよ」って言ってくれたので、私は散歩へ出かけます。オレンジ色の表紙の、方眼紙で出来ていて、一枚一枚ちぎることが出来るノートに小さな手紙を書きましょう。ちょうど旅先から、思いついて出した手紙みたいに。
川辺の雪(カフェ・クッカは川のほとりに建っていて、その川は大きな水うみまで続いているのです)はまだ溶けていませんでした。溶けていない雪の下を、冷たい水が潜りながら、ときどきそのトンネルから顔を出す。そしてまた雪の下へ潜ります。雪の白砂糖のような白さを眺めていると、延々といろいろなことを思い出します。昨日書いたカラオケの朝みたいに。雪が鍵となって、私のあたまの中のどこかの引き出しを、そうとは知らず、開け放つのです。
まるで、「永遠と一日」という映画のようです。雪とは無縁(のはず)のギリシアの映画。島勝ちのエーゲ海へバカンスを楽しんでいる家族の子どもが、別荘から砂浜へ走り出すのです。そのとき、(たしか、二人の子どもがいたと思います)ひとりの子どもが質問をします。ねえ、今日の長さはどれくらい?永遠と、一日さ。もう一人の子どもがそう答えるのだったと思います。
私は目の前の雪の中から、いくつもの記憶、いくつもの物語を創り出すことが出来ます。やがてそれは積み重なって、一日分の時間の中に、永遠が入り込んでくるのです。永遠が入り込んで来たからといって、二十四時間しか表せない時計が、パンクしてしまうようなことはありません。だって永遠は、私たちの心の中に広がっていくのですから。一秒、一秒ごとに、心の中へ広がっていくことが出来るのですから。
カラオケの朝。リコがはじめて雪に埋もれた日。スキーにいったこと。ストーブの上の焼き芋とスルメ。思い出すことはたくさんあります。もしこの手紙に書ききれなければ、私はその続きを、夢で見ることにしようと思います。
それじゃあ、今日はこの辺で。
マコ