2017年1月30日

おばあさんの楽しみ

リコ。雨が降ってくれて、街を覆っていた雪は排水溝へ流されていきました。もとのとおりの乾燥した空。青色が空の天井の方へずうっと遠ざかっていったような、明るさのない青。雲は高く、大陸方面からの冷たい風を運んで来ます。

今日はひとりのおばあさんの話をしましょう。その人はカフェ・クッカの常連さんで、毎週決まった曜日に一度だけ一人で来店されては窓際の暖かい席で二時間くらいゆっくりしていかれるのです。笑顔のかわいいおばあさんで、私が運んだコーヒーを受けとるときも、店を出るときも、本当にニコニコして、どうもね、どうもね、ありがとう、と言ってくれるのです。それが嫌みがなくて、こんな自分に親切にしてくれる人があるなんて、ありがたいことなんだ、っていう感じで、本当に感謝してくださるのです。腰は曲がっているんだけど、紫のスカートにワイン色のカーディガンとブローチをつけて、髪は清潔に後ろでまとめて、目一杯のおしゃれをして来てくれるのです。そうしていつも、ミルクコーヒー(「そのまま飲むと、お腹がいたくなっちゃうから」とおばあさんは言いました)を頼んで、窓辺の肘掛け椅子へ座ります。両手でカップを包み、静かにコーヒーをすすっては窓の外を眺めます。外を眺めている間は、カップをお腹の方へくっつけて、手とお腹が暖まるようにしているのです。おばあさんは天気がよくて気持ちのいい日は、うつらうつら寝てしまうこともあります。そんなとき、トモコさんは何もせずに、おばあさんを静かに見守っているのです。

いつか私とトモコさんの間で、そのおばあさんのことを話してみたことがあります。閉店準備の時間で、お客さんはだれもいませんでした。

ーねえ、マコちゃん。そうなんじゃないかなあってずっと思ってたんだけどね、今日来てくれたあのおばあさんいるでしょ?あのおばあさん、一人暮らしなんじゃないかなあ。
ー一人暮らし?
ーそう。だから時々一人で部屋にいることが堪らなくなるって分かってるから、ああやってキチンとおしゃれして、外へ出ることにしてる。なんだか今日のおばあさんを見てて、そんなこと考えちゃった。

トモコさんは洗ったグラスを拭き始めました。

そうかも知れない。あのおばあさんは一人、がらんとした部屋に住んでいる。あんまりお金を使いすぎたらいけないから、週に一回だけ、カフェに来る。私はおばあさんが目をしばたいて、窓の外を眺める姿を思い出していました。なるべく長くカフェにいて、自分が誰かの視界に入る時間を長くしようとする。誰にも見られなきゃ、生きていないのとおんなじだから。そういう孤独な気持ちと、人生を楽しもうとする気持ちの、二つの気持ちに折り合いをつけるように、おばあさんは週に一度のアフタヌーンティーを楽しんでいるのかもしれない。もしもそのために、私たちのカフェを選んでくれたとしたのなら、それは仕事人の冥利に尽きることです。

今度おばあさんが来たら、少しだけ観察してみよう。迷惑でなければ声をかけてみよう。おばあさんは一人で生きていくことの大先輩であり、プロなのだから。

今日はこんな感じ。また書くね。

マコ

2017年1月26日

永遠と一日

リコ。やっと晴れました。青空の下で太陽に照らされた雪から、雪解けの雫がひっきりなしに落ちていきます。どういう訳か、お客さんが来ません。寒いと暖かいものが飲みたくなって、カフェに立ち寄る、そうでなければ来ない。今日はそんな「ルール」が当てはまる日なのかも知れませんね。トモコさんが「ちょっと休憩してきて、いいよ」って言ってくれたので、私は散歩へ出かけます。オレンジ色の表紙の、方眼紙で出来ていて、一枚一枚ちぎることが出来るノートに小さな手紙を書きましょう。ちょうど旅先から、思いついて出した手紙みたいに。

川辺の雪(カフェ・クッカは川のほとりに建っていて、その川は大きな水うみまで続いているのです)はまだ溶けていませんでした。溶けていない雪の下を、冷たい水が潜りながら、ときどきそのトンネルから顔を出す。そしてまた雪の下へ潜ります。雪の白砂糖のような白さを眺めていると、延々といろいろなことを思い出します。昨日書いたカラオケの朝みたいに。雪が鍵となって、私のあたまの中のどこかの引き出しを、そうとは知らず、開け放つのです。

まるで、「永遠と一日」という映画のようです。雪とは無縁(のはず)のギリシアの映画。島勝ちのエーゲ海へバカンスを楽しんでいる家族の子どもが、別荘から砂浜へ走り出すのです。そのとき、(たしか、二人の子どもがいたと思います)ひとりの子どもが質問をします。ねえ、今日の長さはどれくらい?永遠と、一日さ。もう一人の子どもがそう答えるのだったと思います。

私は目の前の雪の中から、いくつもの記憶、いくつもの物語を創り出すことが出来ます。やがてそれは積み重なって、一日分の時間の中に、永遠が入り込んでくるのです。永遠が入り込んで来たからといって、二十四時間しか表せない時計が、パンクしてしまうようなことはありません。だって永遠は、私たちの心の中に広がっていくのですから。一秒、一秒ごとに、心の中へ広がっていくことが出来るのですから。

カラオケの朝。リコがはじめて雪に埋もれた日。スキーにいったこと。ストーブの上の焼き芋とスルメ。思い出すことはたくさんあります。もしこの手紙に書ききれなければ、私はその続きを、夢で見ることにしようと思います。

それじゃあ、今日はこの辺で。

マコ

2017年1月25日

冷たくて、暖かな夢

リコ。今日みたいに白色につつまれた朝の風景を眺めていたら、一つの記憶を思い出したのです。あれは私が二十歳になって初めてリコと飲みに行った時のことです。頭がガンガンしてきたなあって思ったけれど、リコとテーブルに向かって酒の肴を囲んでいることが、少し誇らしくもあったのです。「無駄な恋愛はやめなさい。その人が本当に自分に合っているかどうか、じっとこらえて、心に聞いてみるの」たしかリコは、言いましたね。

その後なぜか、二人でカラオケに行って、その日は金曜日だったから朝まで歌い続けたのでした。その後うちへ帰るために、お城のお堀を歩きましたね。お城全体が雪に包まれていて、とっても幻想的でした。体がぐったりしているのに、冷たい空気に、頭はものすごく冴えていた。空は白いだけじゃなくて、七つの色を持つということを、改めて感じるような朝で、雲は低く、遠く、七色に照りながらたなびいていたのです。「冬はつとめて。」私は宮廷の侍女の言葉を思い返していました。お堀にはうっすらと氷が張っていて、鳥たちは辛うじて凍らずに残った水面のあたりに、みんな逃げ込んでいたのです。黒い、古材で出来た太鼓橋を少年達が渡りながら、お堀の氷の上へゆき玉を投げると、雪玉は氷の上でくだけて、氷の上に真っ白い花火がはじけるようでした。

そうやって帰って、順番にシャワーを浴びて、そのあとこたつで寝てしまいましたね。もしも平和というものがあるとしたら、あの朝の風景こそがそれだと思うのです。あの日のことは、いつまでも覚えています。

マコ

2017年1月24日

雪の城

リコ。30センチも積もりました。向こうに伸びる森は一面に雪をかぶって、真っ白な世界です。モミの木に積もる雪で出来た白い塔があちら、こちらに見えます。落葉樹の横へ伸びた黒い枝へかかるのは白い窓。どこまでもつづいていく白い壁、目に見えぬ雪の兵たち。この街が都市と森の間にあることが、今日ほど嬉しいことはありませんでした。すぐ近くにうかがえる森は、雪の城だったのです。もし今日が働く日でないのなら、私は森へ、いってみたでしょう。

白い森の音って、リコは聞いたことがありますか?街の音や動物たちの物音はすべて雪に吸い込まれてしまって、耳の奥にリーンとなる夢で見るような鈴の音がするのです。それに足音。地面は一面に冷たくて、本当を言えば人間を含めた生き物全てを拒絶しているのです。その中に分け入っていく足音の勇敢。吐息の生きている力。そのようなものたちが、夢の中の鈴に合わせて、しんと聞こえてくるのです。

もし、仕事が早く終われば、森の端くらいには言ってみようと思います。モミの木が揺れて、ざざって雪が落ちてくるかも知れない。私はそれを傘で受け止めます。雪の冷たさがつま先へ攻め込んでくると、私はうちへ帰るのです。ぎし、ぎしと人間の立てる音をさせながら、夕闇の中でピンク色に染まっていく雪景色を、歩くのです。

寒いから気をつけて。じゃあ、また。

マコ

2017年1月20日

この世界を綴る

リコ。なんだか最近元気がなくて、普通なら雪を喜ぶ私が、文句でもいいたげなしかめっつらで、雪の覆った道をザク、ザクと歩いています。空に張り出したシベリア気団が、とおい異国の地の憧れを誘うはずなのに、そんなこともなく、空はただ何となく、青色をしていただけでした。

家へ帰って部屋の電気をつけます。部屋の隅っこに、書き物をする白くて蝋で出来たようにすべすべしたテーブルに、焦げ茶色した木箱が置いてありました。それは、今まで書いて、出さずにおいたリコへの手紙が入っている箱なのです。箱の中で何重にも重なった便箋を眺めていると、たくさんの出来事、リコへ向けられた親密なやさしさが私の心に蘇ってきます。それは澄んだ池からの湧き水のように、私の心の中を流れていきました。

そうだ。私には書くことが必要だ。リコへ。それがさっきです。こうして私は、最近の不調の原因を突き止めることが出来たのです。私はリコへ手紙を書くことで、リコに知らせたいこと、この世界の素晴らしい点を数え上げていたのです。赤ん坊が何にでも触って、この世界が安全であることを確かめるように、私は書いてきたのです。

そう思うと、全てのことが腑に落ちました。私に必要なのは幸福でもない。何か気の利いた気晴らしでもない。ただ、書くこと。ここに生きるための仕組みが隠し込んであったのです。

というわけで、今日はこの辺で。またね。明日は積もりそう。気を付けましょう。

マコ

2017年1月9日

オレンジのサーカス隊

リコ。雹がふりました。雨が雹にかわって、やがて雪に変わるでしょうか。そうして冬は深まっていくのです。

今日友達4人と新年会をしました。その帰り、私は川縁の道を家までゆらゆら、歩きました。その川とは、この街を北と南に分けている大きな川のことです。この街の人が光に対して細心の注意を払ったことに私は感謝していました。というのも、川辺の柳並木にそって、江戸風の行灯を模した街灯が列を作って並んでいるのです。上にはかわいい屋根。中が白熱電球でなければ、小人の生活する灯りが洩れているかのようなのです。火照った体にはちょうどよいくらいの風が柳を揺らし、街灯が足元を照らしていました。ふと顔をあげると向こう岸にも同じもの。街灯の灯りが、水の上に、オレンジに映っています。灯りを映す水面は、この世とあの世の境界線。葬り去られた記憶の中で、私はいつか見た、サーカス隊のテントの景色を思い出していました。リコと、お父さん、お母さんと見たサーカス隊の灯りも、あんなふうに、ゆら、ゆら、と空間の不思議を掻き立てていましたっけ。

自動販売機で温かいコーヒーをかって、岸辺で飲みました。私は夢を見ているようでした。それともこの街が夢なのか。この街は眠りの中にある。いつか誰かがそういったのを思い出しました。そこへじっと座り、体の芯へと冷たさが染み込み始めたころ、私は歩き出しました。もうじき私は家に着き、夢を見たまま寝床へ入るのです。

その前にリコへは手紙を書くこと。ほら、忘れなかった。じゃあ、おやすみ。

マコ

2017年1月5日

Hide and seek

リコ。街ではまだ、冷たい雨が降っています。雪はいつ降るんでしょう。私はベランダ近くで、本を読んでいました。雨の音。風の屋根をかすめる音。それきりの音の中、ランプのように小さな明かりの下で本を読みました。それは二人の囚人が、お話だけで幾つかの映画を、そのあらすじ、登場人物の着ている服の色や髪型、シーンのセットがどんなのかを語り合うのです。映画の話に興じている囚人の話に惹き込まれた私。どこまでいっても同じものが出てくる、マトリョーシカみたいですね。いつしか雨は小雨に変わって、向こうから、小さな三日月が顔を見せました。私は月が雲の間に隠れるまでに、リコに手紙を書いてしまおうと思ったのです。

月明かりといえば、今日、素敵なことがありました。リコはびっくりするかも知れない。私は太陽とかくれんぼをしたのです。いいえ、最初から説明をしましょう。今朝、カフェ・クッカへの出勤の途中です。リコも知っているように、カフェ・クッカは湖の近くにあります。だから私は朝、湖岸を走ることになるのです。コンクリートの岸壁の向こう、ちょっと覗けば枯れた葦の側に水鳥たち。地方で生活するって優雅だなあって思う瞬間です。そのとき視界の上の方、つまりは湖のこっち側じゃなくて、中央のあたり、三本の光のはしらが出来ていたのです。湖はそこだけ輝いていて、その上に、きらきらひかる靄が立って、低く垂れ込めた雲まで延びているのです。それはまるで、地底から光が発せられて、靄が光の筋のように、天を照らしているように見えたのです。でも光線の流れは下から上じゃなくて、逆。湿度と時間がうまい具合に重なって、太陽の光が湖上に掛かった靄を照らし、靄に反射した光が湖を照らしていたのです。でも私の心の中には、上昇の運動があった。とても美しかった。そして、光線と水蒸気の組み合わせからは、虹が作られます。その日見た虹は、虹の断片。湖とその上の雲だけを繋ぐ、本当に小さくてかわいい、きれっぱしの、虹でした。

まだ勤務の時間まで余裕があったので、私は車を近くの空き地に止めて、その光景を、じっくり見ようとしたのです。そしたらどうでしょう。もう、虹は消えてしまっていたのです。

そう。自然ってそういうもの。ちょっとした角度、ちょっとした条件の違いで、素晴らしい光景はすぐに見えなくなってしまう。私が太陽とかくれんぼをしたっていったのは、こういう意味です。でも、それだからいいんです。私はいつでも待ち構えている。この世界が、素敵な光景をひょっと表してくれる瞬間を。それは本当にわずかなサインから成り立っている。そのサインを見つけようとすればするほど、私はこの世界と仲良くなっていくような気がするのです。

かくれんぼは、私たちもよくしたね。思い出した。じゃあ、また。

マコ

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