2016年12月28日

雨の中の私たち

リコ。雪はまだ降りません。そのかわり、冷たい雨が、一日中降っていました。カフェ・クッカから駐車場までも、寒くて凍えそうなほど。

白い息をはきながら、ぽつ、ぽつ、傘に当たる雨音を聴いていると、ある日の冷たい雨の記憶を思い出します。あれは小学生のいつか。その日は朝からずっと雨で、私は黄色いカッパと傘を学校に持って行きました。4時間目が終わって、帰る時間になったとき、なぜだかその日は、一緒に帰る人が誰もいなかったのです。リコはまだ、5時間目を受けていたはずです。それで私は一人で帰った。歩くたびに、傘もカッパもだんだん水気を帯びてきて、手やつま先や、カッパのあたる首のところが冷たくなって来たのです。

そのとき、ボツリ、ボツリ、と大きな雨粒が傘に当たったかと思うと、大粒の雨が、ざあっと降り注ぎ始めたのです。私には初めてでした。雨のために、まるで視界が、白い幕でおおわれてしまうほどの景色を見たのは。そのときこの世界から、リコも友達も、学校も家も消えて、白い世界の中に私一人になってしまったのです。ものすごく怖かった、けれど、なにか大切なものを守るために必死だったということを覚えています。もの凄い雨の中でも、三歩だけ先は見えました。それは馴染みの道のりだったから、私はそれを幾度もたどればよかったのです。黒猫がいました。私と同じように、突然の雨に閉じ込められてしまって、びしょ濡れのまま、民家の軒先にじっとしている。猫は私に気がつくと、さっと塀に登って、奥へ奥へ進んで行きました。私は猫の背中をじっと見つめていました。

それが私にとって、雨というイメージの原型なのです。雨の中を歩くときはいつも、どこかであの時のことを思い返しているような気がします。ざあざあと雨に降り籠められて、健気に、というか、自分の力の及ぶ範囲で、やるべきことをやっている。「雨ニモ負ケズ」で出て来るような、超人的な力は、私には、ない。雨の寒さの下で、はあっと白い息をはきながら、小さな足を前に出し続けているだけです。でも私はそれが好きです。だってそこには、雨にも消えない灯し火が輝いているのですから。たった36℃の熱さ。それでも消えない、強い、灯し火なのです。それは、全ての私たち、小学生も、大人も、おじいさんも、猫も、全てのものが持っている基本的な力なのです。

本当を言えば、世の中はいつだって、雨降りです。しかも驚くほどに冷たい雨。どこかの国では、空から熱い雨さえ降ってくる。熱い雨が、最も冷たい雨なのです。このように降り続く雨の中で、私たちは抱きしめている。たった36℃の決して消えない灯し火を。それこそが、世界を照らす、小さな光なのです。

なんだろう、独りごとみたい。ごめんね。

マコ