リコ。東京から帰ってきました。これからクリスマスに年末。思いっきり働こうと思います。東京で学んだことが生きてくるといいな。
私がいつかカフェを持ちたいってこと、リコには話すことも出来ませんでしたね。それはとても残念。でもその残念な気持ちを見捨てないように胸にしまって、私は前へ前へ、少しずつ進んでいきたいと思います。
私もトモコさんも、カフェで働く前に一般企業で働いていたということは、今から考えれば、とてもいいことだったと思います。それは、経営の仕組みが分かるとか、社会性が身に着くとか、そういうレベルの話ではなくて、みんなが抱えている「働くことの苦しみ」をちゃんと経験したということなのです。カフェには癒しを求める人が来ます。そしてその少なくない部分の人は、「働くことの苦しみ」からの、ひと時の解放を求めて来るのです。その人たちの「苦しみ」を私たち二人が「既に経験した」という訳では決してありません。ただ、自分たちの経験に照らして、その人たちの苦しみを「想像することが出来る」ということなのです。それを通じて私たちは、いい店づくりをすることが出来ると思うのです。こんな偉そうなことをいって、私がOLをやっていたのはほんの四年くらいなのですが。
癒しっていう言葉は、ほんとうに便利で、今ではどこでも使われています。でもその本当の意味を知り、癒しを極めることが、私たちに求められた役割だと思うのです。仕事で失敗したとき、上司に辛いことを言われたとき、仕事が遅くなって、傘も持ってきてないのに突然のどしゃぶりで、夜の街を軒下から軒下へ、駆け足で渡り歩くとき。そんなとき、夜の街にともされた一つの街灯のように、温かい光を放っている場所でありたい。私は思うのですが、人が本当に疲れ切ってしまったとき、言葉は役に立たないと思うのです。この言い方は語弊がありますね。においも感触ももたない言葉が役に立たないのです。「今は悪い状況だけど、これだけ明るい材料があるから大丈夫だ」とか、「あの人はああいう風にいっていたけど、あの人の非難はあの人自身にも当てはまる。そんな人のいうこと、聞かなくたっていいんだ」とか。そういう言葉をどんなに並べ立てても、お腹の底からがんばろうっていう元気なんて、ちっとも出てこないと思うのです。
本当に誰かの力になることって、もっとこう、やわらかくて、あたたかくて、いいにおいのする、「感触」のあるものだと思うのです。言葉が全ていけない訳ではなくって、その、やわらかな感触があれば、言葉だって空気だって、コーヒーだって、誰かを元気づけることが出来る。私はそれをこのカフェでやってみたいし、いつか自分自身でもやってみたい。トモコさんもきっと、思いは同じはずなのです。
リコには言えなかったから、こうやって手紙で伝えますね。リコに届きますように。
マコ