リコ。今、東京に来ています。焙煎とドリップの講習会を受けるためにです。年末で忙しい時期にトモコさんを一人にしてしまうのに、トモコさんは気持ちよく、見送ってくれました。いつか私が、自分の店を持ちたいといったとき、誰よりも応援してくれるといったトモコさんです。私は今回の東京行きで何かを持ち帰って、何か新しいメニューをカフェに加えるところまではこぎ着けたいと思います。そうでなきゃ、トモコさんの厚意に応えられないですよね。
東京は相変わらずの賑やかさでした。私がまだ大学生だったころ、東京の中心部にあったキャンパスは、お茶の水の坂道の上にあって、坂道の両側には背の高いビルが競うように並んでいたのです。私の若い心には、この華やかな光景が向上心の象徴のように映っていたのでしょう、今から考えれば。今の私には、東京のビル群が何か切羽詰まったもののようにのしかかって来て、私のまわりの空気さえ、固くしてしまったような気がしたのです。空気の隙間で息苦しい呼吸をしながら、私は逃げ道を探すように、スターバックスへ入りました。平日なのに列にならんで、ラテを注文したら、窓際の一人掛けのソファを見つけてほっと座り込みました。
ソファのとなりには、よく育ったエバーフレッシュが(それは触ると閉じるオジギ草のように小さな葉っぱが付いた、可愛らしい観葉植物なのです)、ブラインドから漏れる太陽に照らされていました。そのとき私は、私と同類のものの発する、ほっとした気配を感じ取ったのです。太陽に向かって、無心に葉を開く植物。それはいかにも原始的で、生き物の、最も基本的なあり方を示しているように思えたのです。
そう。ここには当たり前の、私たちの本当のリズムが欠けている。私たちは、こんなに高いものを建てなくてもいいし、そんな高い所に住まなくてもいい。車を使って、こんなに速く移動しなくてもいいし、東京の人みたいにあんなに速く歩かなくたっていい。このときの「たち」には、私たち人間はもちろん、全ての動物と、全ての植物が(もちろん私のお隣さんのエバーフレッシュも)含まれるのです。私たちは、そんな風には出来ていない。
そのときトモコさんのことを思い出しました。「大事なことは、目に見えないの」。コンクリートの下で春の準備をしている街路樹の根っこ、ビルに遮られてしまった太陽の軌道、この都会の空気に窒息させられそうになっている私たちの本当の望み。目の前の物ごとがあまりに華やかで明確すぎると、いつかそんなことを忘れて、知らないうちに自分たちを傷つけている。大事なことは、目に見えないのです。
大学時代、青春の象徴だった東京から、今は早く帰りたい。帰ってカフェ・クッカで、仕事終わりにトモコさんが淹れてくれるコーヒーを飲みたい。カウンターの隅でそっとマグを包む、その温かさが、今はとても恋しいのです。
寒くなりましたね。リコも気を付けてね。
マコ