リコ。リコへ宛てた手紙も、一年が過ぎ、リコの見ることのなかった世界を私がリコに伝えるという目的も、おおかた達成できたのではないかと思っています。この世界は醜いけれど、嫌いにはなれない、そんなことを書いてきたつもりです。私の見解からして、人生とは、人間とは、六十点です。ほとんど半分は点もやれない、けれど半分より少しだけ、いいものをもってる。そういう結論に達したから、もうここで止めてもいいのかも知れないな、と思います。私は手紙を書くことを、止めるでしょうか。
いいえ。これからも。私は書き続けるでしょう。こうして手紙を重ね、幾年も過ぎていく。やがて人間が滅んで、電子機械のインフラストラクチャーだけが残る。そこに誰かが来て、この手紙を解読してくれる。この星には人間という種がいて、それはダメなところもあったけれど、結構面白い生き物だった。そう思ってもらえるかも知れないと考えると、もう少し手紙を書いてもいいのかな、なんて思います。
この世界に眠る、驚きの原石を集めながら。
マコ
2017年11月14日
2017年11月13日
人の手の及ばないもの
リコ。なぜ夕焼けは綺麗なのでしょう。今日はカフェのお客さんが途切れるたびに、沸き立つケトルの水蒸気の中で考えていました。
だって、太陽そのものが美しい訳じゃない。ひまわりの咲く、真夏のアスファルトの坂の上か、熱い砂の海岸ででもなければ、ほとんどの人が南中している太陽を美しいとは感じないでしょう。それなら色?赤い色はより人間に好まれるのでしょうか。でも赤い照明を使った舞台照明が、必ずしも人を感動させるとは限らない。いいえ。と私は、カップを拭く手を止めて考えたのです。夕焼けの色合いは単色ではない。まるで十二単のように、藍から朱、黄に至る色の重なり。これなら人間が好きになる理由も分かる気がします。
しかし私はさらに考えを進めました。南中する太陽と西の空に沈む太陽の違いとは、変化の量なのではないか、と。南中する太陽は、私たちの頭の上でさんさんと輝いているだけです。一方夕焼けは、太陽、山の稜線、西の空にたなびく雲々、早くも輝きだした月そして星、赤く染め上げられた野山の植物、そして私たち。夕日はすべてを変化させます。それは、人の手の及ばない大きなものの営みが、一どきに感じられる瞬間なのです。そうして私たちは思う。私たちは人間界に住んでいるんじゃなくて、地球の上に住んでいる。そんなことを感じるがゆえに、私たちは夕焼けを愛するのかも知れない。
マコ
だって、太陽そのものが美しい訳じゃない。ひまわりの咲く、真夏のアスファルトの坂の上か、熱い砂の海岸ででもなければ、ほとんどの人が南中している太陽を美しいとは感じないでしょう。それなら色?赤い色はより人間に好まれるのでしょうか。でも赤い照明を使った舞台照明が、必ずしも人を感動させるとは限らない。いいえ。と私は、カップを拭く手を止めて考えたのです。夕焼けの色合いは単色ではない。まるで十二単のように、藍から朱、黄に至る色の重なり。これなら人間が好きになる理由も分かる気がします。
しかし私はさらに考えを進めました。南中する太陽と西の空に沈む太陽の違いとは、変化の量なのではないか、と。南中する太陽は、私たちの頭の上でさんさんと輝いているだけです。一方夕焼けは、太陽、山の稜線、西の空にたなびく雲々、早くも輝きだした月そして星、赤く染め上げられた野山の植物、そして私たち。夕日はすべてを変化させます。それは、人の手の及ばない大きなものの営みが、一どきに感じられる瞬間なのです。そうして私たちは思う。私たちは人間界に住んでいるんじゃなくて、地球の上に住んでいる。そんなことを感じるがゆえに、私たちは夕焼けを愛するのかも知れない。
マコ
2017年11月10日
私たちの美しさについて
リコ。私たちは美しい存在ではない。全くの逆で、汚らしい、愚かな、とるに足らない存在です。もしそうでなければ、なんで飢えている人を知りながら、笑って食事をしていられるのか。もしそうでなければ、なんで人を嫌い、その人に災厄が降りかかった時に、しめたものだと思うのか。もしそうでなければ・・・・・・。例をあげれば切りがない。私たちの世界は、平穏とは真逆の世界なのです。
その中でもあるときだけ、世界の人々が美しくなるときが来る。それは真赤な大きな夕焼けのとき。私たちは手もとの仕事をやめて、その大きな夕日を眺める。その瞬間、この国中のたくさんの人がたくさんの場所で、同じ一点を見つめている。自然なるものに感情を動かされる繊細な心のはたらきは、美しい。それをたくさんの人がもっているということも、美しい。そうして美しいすべての魂は、夕日によって赤く照らされる。そのとき人々は、山々と雲と、ビルと水平線と同じに、一つの夕焼けの風景になる。
私たちの美しさは、このようにして、恩寵のように現れるのです。その美しさを、この命が終わるまでに、いくつも見つけてみたい。それが私の願いです。
マコ
その中でもあるときだけ、世界の人々が美しくなるときが来る。それは真赤な大きな夕焼けのとき。私たちは手もとの仕事をやめて、その大きな夕日を眺める。その瞬間、この国中のたくさんの人がたくさんの場所で、同じ一点を見つめている。自然なるものに感情を動かされる繊細な心のはたらきは、美しい。それをたくさんの人がもっているということも、美しい。そうして美しいすべての魂は、夕日によって赤く照らされる。そのとき人々は、山々と雲と、ビルと水平線と同じに、一つの夕焼けの風景になる。
私たちの美しさは、このようにして、恩寵のように現れるのです。その美しさを、この命が終わるまでに、いくつも見つけてみたい。それが私の願いです。
マコ
2017年11月9日
カレンのこと
リコ。私には、リコの知らない友達がいます。それはカレン。学生の時から、いつも何か、心の中をにらんでいる、意思の強い子。食費をけずって(それはもう、女の子のくせに仙人みたいで、三日間くらい絶食するのです)ときたま旅に出る。アジア、アフリカ、ヨーロッパ。なんでかアメリカと南米はいったことがない。カレンはそのまま外国語の名前になるから、旅先ではすぐに友達が出来るみたい。ノルウェーやフィンランドでは、カリン、なんて呼ばれたりもするらしいの。旅先から帰ってくると、こっちではやっぱり旅に関わる仕事をする。そう、フリーの観光ガイド。いろんな協会に登録していて、けっこう人気があるみたい。カレンはいろんな国に行くから、世界中のお客さんのウケがいい。それで、カレンをガイドに雇った会社は口コミで客が増える、というのがもっぱら業界の評判(噂?)という訳。
それでときどき、カレンは私に手紙を書きます。その土地で買った絵葉書も同封されているのだけれど、ただ絵を見せたいだけみたいで、そこには何も書かない。別に便箋でまとまった長さの文章を書いてよこしてくれる。例えば、こんな風に。
なんて。手紙の中に手紙。マトリョーシカ式に書いてみました。リコには言わなかったけれど、カレンの手紙に私は結構救われている。毎日の繰り返しの中にいると、世界が一つの形しかとらないものだと無意識に思ってしまう(それが行き過ぎると、その世界に絶望して、自殺をしたりする)。 カレンは私の代わりに世界中を飛び回って、目の前にあるものだけが世界の全部ではないのだ、ということを私に分らせてくれる。それってすごく、私には大事なことなのです。
じゃあ、またね。
マコ
それでときどき、カレンは私に手紙を書きます。その土地で買った絵葉書も同封されているのだけれど、ただ絵を見せたいだけみたいで、そこには何も書かない。別に便箋でまとまった長さの文章を書いてよこしてくれる。例えば、こんな風に。
マコ、私はいま地中海のほとり。Mediー中ーterraー大地ーneanなんていうけれど、これは全くの海。今日の昼に、そのメディ・テラ・ニアン・シーの海岸を散歩したんだけれど、それが凄かった。両側に、ほとんど視界をさえぎるものがなくてね、180度、海が見えた。そしたらその海って丸いんだ。そう、水平線は曲がっている。エラトステネスのいったとおりに、地球が丸いことが目で見て分かるんだ。そうするとね、ああ、自分は街の中にいるんじゃなくて、地球の上にいるんだって思う。そう思う時の沸き上がる気持ち、マコにあげたい。右手に少し突き出した陸地があって、そこには真っ白い風力発電機が回ってる。それが回転するのが、抜けるような青空の中でみごとに映える。私の頭の中では、メディ・テラ・ニアン・シーの反対側、古代アレクサンドリアで海を見たエラトステネスと、21世紀の新しい造形が二つで一つになる。人間の生きて来た歴史をたっぷり吸収してしまうほど、目の前のメディ・テラ・ニアン・スィーは漫々たる水量をたたえる。
なんて。手紙の中に手紙。マトリョーシカ式に書いてみました。リコには言わなかったけれど、カレンの手紙に私は結構救われている。毎日の繰り返しの中にいると、世界が一つの形しかとらないものだと無意識に思ってしまう(それが行き過ぎると、その世界に絶望して、自殺をしたりする)。 カレンは私の代わりに世界中を飛び回って、目の前にあるものだけが世界の全部ではないのだ、ということを私に分らせてくれる。それってすごく、私には大事なことなのです。
じゃあ、またね。
マコ
2017年11月8日
おかえりなさいの言葉
今日は明るい月が出ていました。目を月の円形に合わせると、光の一筋がこちらまで長く伸びてくるくらい。空の高いところに雲が浮いていて、そこだけは灰色く、けぶっている。こんな日は、ぐさぐさの心も丸くなる。この社会の中で、いつも「選ばれる側」に立たされ、戦わなければならない人々の心を丸くする。
本当の家へ帰って来たということを知らせるために、月はおかえりなさいを言う。
たぶん、そんな気がする。
マコ
本当の家へ帰って来たということを知らせるために、月はおかえりなさいを言う。
たぶん、そんな気がする。
マコ
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