2017年6月5日

私たちが生まれてくるときに配られたもの

リコ。ついにMRIの検査の日がやってきました。ベッドに寝て、白い、「宇宙の実験装置」みたいな輪っかの中に入った私は、不安を感じながらその機械音に聞き入っていました。検査はすぐに終わり、待合室で結果を待ちました。検査が終わって、もうすぐ30分が経とうとしていました。私の名が呼ばれたのです。

診察室に入った私は、パソコンの画面に映った私の身体の写真よりもまず、先生の表情を読み取ろうとしました。医師という職業は、いくらこういう修羅場を経験しているとはいえ、やはり告げにくいことを告げる時には、表情に一点の曇りが浮かぶものなのではないか、とそう考えたのです。

「あ、どうぞ。座って下さい」

先生の声に、ある種の軽やかさを私は感じました。そしてそれは、「よい兆候」のように思えたのです。先生はパソコンの画面を見ながら、「大丈夫です。良性でした」と言って、詳しく良性腫瘍である根拠を説明してくれたのです。私は自分の身体の断面図を眺めながら、「よく元気でいてくれたね。私の身体、ありがとう」と密かに感動し、その熱で今までの張りつめていた神経がほっと緩むような気がしました。「但し」と先生は続けました。「子宮筋腫は、経過観察が必要です。最低一年に一回は検診を受けて頂いて、筋腫が大きくなったら処置が必要な場合があることも、ご承知置きくださいね」

病院を出ると、まず家族に、そしてトモコさんに結果を報告しました。「よかったねえ、マコちゃん!本当によかったあ。これで、もう、心配ないね。本当によかった」トモコさんは喜んでくれました。そして「今だから言えるんだけどね、物事がいいように進もうとも悪いように進もうとも、マコちゃんなら力強く前へ進んで行けると思ってたんだよ」と言ってくれました。

私にそんな力があるとは思いません。でも、普段の言動を一番近くで見ていてくれるトモコさんから、そういってくれたことで、私は限りなく励まされました。どんな風になろうとも、何が起ころうとも、力強く前へ進んで行ける力。それはもしかしたら、私の特性というよりも、私たちが生まれてくるとき、配られる力なんじゃないかと思うのです。これがあるから、私たちはここまで、いろいろあったけれど、結局はそれなりに生きている。

今回の病気で、私の中に一つの「時限爆弾」がセットされたとも言えるでしょう。可能性は低いにせよ、その爆弾が爆発するかどうか、年に一回は検査をしないといけない体になってしまった。それでも不思議と、私は恐怖を感じませんでした。むしろ、一種の親しみをもってこの状況を受け入れる気持ちになったのです。

一言でいえば、今回の病気で、私は死の領分へ少しだけ近づいたのです。これまで死は、至る所に転がっていながら、私自身はそれを自分のこととして感じることが出来なかったのです。だから、私が死者に感じる全ての感情は、どこかしら偽善めいたところがあったのです。リコを失った私でさえ、そうなのです。でも今回の病気で、私は自分の内に、僅かな死の可能性を宿すことになった。このことは、私を死者の視点に近づける特異性として、これからの私を作っていくことになると思うのです。

ひとまず、よかったです。よし、もっと生きよう。うん、生きよう!

マコ