リコ。お隣さんの花が綺麗だって、リコにはもう言ったでしょうか。庭木にしては今まで見たこともない花で(いえ、ただ私が無知なだけなのかも知れません)、丸い緑色の葉っぱに、蜜柑の小さな一房みたいな花が白く、いくつもついているのです。その庭木の緑と白の対照が、いかにも春らしく目に映りました。
ところで今日は、少し変な話を書きます。でも、この話をすると最後のところがよく分かるから、がまんして聞いてください。よく郵便番号だとか、車のナンバーだとか、デジタル時計だとか、ゾロ目を見たと、しかも二回続けてみたと、大変意味ありそうに語る人がいます。それは、たしかエンジェル・ナンバーとかいって、天使から授けられたメッセージだと考えられているのです。
私は誰かの人生観を支えているかも知れないものごとについて、それを否定する気は全然ありません。でも個人的な見解を言うならば、それは奇跡でもなんでもなくて、偶然と必然が折り重なった至極合理的な現象だと言わなければなりません。その人が一日二十四時間のうち、何千回と目にする数字のうちに、たまたまゾロ目が何回か含まれているというのが偶然。そのなかで、観察している人の思想によって、ある配列の数字だけが特別印象に残ってしまうという必然。人はありのままの世界を見ているのではなく、見ようとしている世界を選択しているというからくりが、そこには働いていると思うのです。そして、見よう見ようとするほどに、その対象を感じとる力が強くなるのです。
なぜこんな話をしたのかというと、私は今、この世界から絞り出した、採れたて100パーセントの、ジュースのような美しさを見い出せる人間になりたいと思っているからです。それは何かしら、大自然の力に関係していて、晴れた空を眺め渡すときとか、大きな山に登ったとき、畑で土に触れるとき、花を見るときに感じるものです。あるいは日本人なら、お社に詣って手を合わせるときにも感じるもの。そういう力を、いつも隣にいてくれるお母さんのように感じて、生きていくことが出来れば、人はこの世界を肯定できるし、この世界を愛することが出来る。それは、本当の意味で強く生きていく土台になるのです。
でもその美しさは見えにくくて、表面だけ見ていては感じることが出来ません。ましてや、コンクリートによって大自然から隔離され、スマートフォンの小さな画面に五感を吸いとられている今の私たちにとって、それを感じることは、容易ではないのです。
日常の中に、もう一度その力を取り戻すこと。そして心の安定を得ること。それが自分自身にも必要だし、カフェのお客さんにも必要だと思うのです。そういう訳で、私はその見えにくい力を感じたいと思っているのです。
そのために必要なことは、もう言った通りです。エンジェル・ナンバーと同じで、その実在を信じて、見ようと準備すること。そうして準備している人だけに、この世界は強い生命力への扉を、開いてくれるのだと思うのです。
長くなりました。ごめんね。
マコ