リコ。この手紙も、考えてみれば半年以上が経ちました。その間、いろいろあって、特に春先は新メニューの制作でドタバタでした。リコにはもう、そんな些細な変化は起こらずに、ただ夜空の星のように、私たちとは違った、スケールの大きな時間を過ごしているのだなと私は考える、いえ感じるのです。だから星空を見るのは好きです。リコの体験している(そういうのが事実であろうとなかろうと)世界というものに、少しでも近づけるように思うから。
そして春が来ました。お城の桜もほとんど満開になって、今日は夜桜を見に行きました。平日なのに、たくさんの人。私はこの街の人が、遊び心を忘れていないことに、ほっと大きな安心をするのです。今日これだけの人に会えたのだから、この国はまだまだ大丈夫。どんな困難にあっても、柔らかで、強い、前向きな力を維持していられるでしょう。
桜の開きかけた蕾を見ていると、私の中の何かが共鳴しているような気になります。それは体で書いた、春、という文字。夜風に乗って桜の上を渡る春が、桜の蕾と私の中の、そう、例えば私の心臓の中の、生まれて初めて作られた細胞に向かって、あるリズムを投げかけている。それはたぶん、この世界にまだ一つの種類の細胞しか存在しなかった時代から、細胞に投げかけられた「生きよ」という呼び声。その子孫である桜も、そして私も、その呼び声を確かに聞いて、本人は分からないようでも、どういう風にかして感じ取っていたのです。その胎動は、生きていく力になる。私はもし人がいなければ、桜の幹に抱き付いてみたい気がしました。そうすれば、私と同じ、命の鼓動が、聞こえるはずに違いなかったのです。
マコ