リコへ。
ダークグレイの空から雪が降り籠めて、雪を支配する重力のちからが、そのまま私たちの街を地底へ沈み込めていくような気がします。北の海の国では、こんな風に一日が過ぎていくのです。寒がりの私たちは、冬のあいだに家の中で出来ることをやる。茶碗を洗うおとやミシンのおと、そんな音が雪に染み込んでいって街は眠るように静かになる。松の枝にぶら下がっているのが耐えられなくなった雪玉が、ぱさっと落ちる音だけが通りに響くのです。
私は本を読んでいました。それはイギリスの童話作家が書いた半生の記録、とでもいうべきもので、姉と弟(この弟の方が後の童話作家なのですが)が、ナチスの飛行機爆撃のあいだ、どうやって防空壕で過ごしたか、疎開先でどのような自然を見たかが書かれていました。あとがきにある「私たちには、結局、耐えることしか与えられていないのだ」という文章が印象的でした。あの時代、世界中を覆った災厄。あの時代、どんなにか多くの人が戦争に反対しただろうに、戦争は止められなかった。結局私たちに与えられているのは、社会や自然の脅威に対して、しなやかに耐え抜いていくことでしかないのかも知れない。だからと言って、「私はあの時代が、自分にとって無駄な時間だったとは到底思えない。私は戦争によって、現実をより有意義に受け入れることを学んだのだから」。私はこの人のように、強くありたい、そう思いました。
リコ。防空壕のイメージから、ひとつ思い出したことがあります。昨日トモコさんと話していたのですが、こんなに雪が積もっては、いっそ雪を使って遊んでやるしかない、といい合ったのです。それで、私たちのカフェには窓が四つあるから、窓のところから手すりまでの植木鉢がおけるくらいのスペースに、小さなかまくらを四つ、作ってみようということになりました。中に熱くない電気のキャンドルを入れようよ。そしたら夜はきれいだろうな。なんて話をして。分厚く積もった雪の下に、人間が灯すキャンドルの光がある。私はそれを見るのが、今からとても待ち遠しいのです。
マコより