2018年1月16日

生きているとは旅をすること

一歩一歩、ゆっくりと踏み出す。踏み出すたびに、私の長靴は雪に埋ずもれる。はあ、はあって、白い息が小さくマフラーのまわりに浮かんでいる。私は雪の中にいる。両側の林は、クヌギのような雑木林で、枝の一本一本、幹の一つひとつが、冬の夜会服のように丸あるい雪を帯びている。あと少し。私は顔を上げました。



この前のお休みの前日、雪の積もった山を見ました。それはカフェからごく近く、いつでも見慣れていて、私の日常のルーティンの圏内にある山です。その日その山は、雪のせいで少し違って見えました。葉っぱを失った木々が、山肌から頼りのない幾つもの芽生えのように伸びていて、それに雪が被さると山は霞を帯びたような、雪のスプレーをかけられたような、一段とおくに立っているまぼろしになる。と、山の頂きがむき出しになって、すっかり白く、平地が出来ていることに気が付いたのです。あの雪の山の、頂上に立ったらどんな眺めだろう。私はぼんやり考えました。その日はそのまま日が暮れて、雪がむらさきに輝くような夜が来ました。そして家への帰り道、車を運転しながら、私は、ふと、あの山のことを思ったのです。そうだ、明日はあの山の、頂上の平地へ行ってみよう。そしたらどんな眺めだろう。日常の背景が旅の目的地になる。だって、生きているのは旅をすることなんですもの。

翌日の、まだ朝も動き出さないような時刻に、私は山の中にいました。予想していたとおり、積雪は街中の量と大して変わりはない。幸い林道がついていて、あまり危ないことをせずに先へ先へと進めました。朝日が雪の表面を撫でていって、雪をかぶったくま笹の、先から落ちるしずくを光らせました。

その輝きを受け取って、私はグラスの中で光る、カクテルの氷を思い出しました。私と同じ華道サークルだった先輩とふたり、夜の都会の景色を見ながら、それぞれのグラスを傾けていました。先輩は色っぽい口紅が、カクテルを飲んではグラスにつくので、その度にほそい指でぬぐいとっていました。女の私でも、その姿はかっこいいなと思ったものです。私たちはちょうど一か月前、先輩の卒業旅行という名目で、ふたりバリへ旅行に行ったのです。あまり大勢で行くことを好まない先輩が、相棒に選んだのが私だったということは、その時の私の自慢でもありました。バリは不思議な街で、土着の文化と観光業が構築した近代文化の融合した街でした。先輩はあまり「近代文化」の方を好まずに、昼に散歩に出かけてちょっと観光客のいかないような田んぼへ出て見たり、現地の人がいくような料理屋へいったりしていました。ほとんど赤道の真上にあるバリは、太陽が真上からまっすぐに射してきて、そのエネルギーで人も植物も、動物も、みんな生命のエネルギーに満ち溢れている様に思いました。その旅行を懐かしむ意味もあるのか、その一か月後、先輩は突然私を呼び出して、大都会の真ん中にある、たしか25階にあるダイニングバーへ連れて行ってくれたのです。
「秋さん(それが先輩の姓だったのです)、私バリに失恋したみたい」
「フフ。なによ、それ」
「え?だって、すごくすごく好きで、でももう一生会えないようで、これって失恋じゃないですか」
「ハハ、マコちゃん、面白い」
そのとき秋先輩はグラスを傾けながら、女でもドキッとするような流し目を使って言ったのです。
「バリはバリ。でもマコちゃんには今があるのよ。日常を日常だと思っちゃいけない。私たちは毎日、移動のない旅をしてるの。いろんなものに出会って、いろんなことを思って。生きているとは旅をすることなの」

そう。だから私は毎日を大事に生きていたい。もう少しで雪山の頂上へ辿り着ける。そこでどんな景色が待っているのか。この世界が私にくれるものを、いつも楽しみに待ちながら、私は生きていきたいと思うのです。

マコより