2018年2月6日

私たちはそのために生まれて来たんじゃない

リコへ。

雪が周囲のおとを吸収して、「きーん」と無音の音を聞くとき、夜なのに雪はむらさきに輝き、空は朱鷺色に光っている。そんな雪夜をひとり歩いていると、私がまだカフェの店員として働く前のことを思い出します。

私が会社を辞めることを決めたのは、こんな雪の日だった。雪の一降りは過ぎ去って、あとはゆっくり解けていくだけなのだけれど、降った量があまりに多いものだから、世界一面、雪の毛布にくるまれていました。静けさが集中力を誘って、私はこれから本当にどうするのか、考えながら歩いたのです。

今の私は、生きている事と息をする事が、ほとんど変わらない。ただ、生物的な欲求、つまり食糧を得て生きながらえるためだけに、毎日を送っている。それでこの国の経済に貢献しているではないか、という人もいるかも知れません。しかし、有限な資源を地底から掘り出してごみに変えていくとお金が溜まるなんて、何かが間違っているように思ったのです。それは私たちが生き永らえるためだけの、本人たちは真剣の「お遊び」であって、私たちは決してそのために生まれて来たんじゃない。

そんなことを、悩み、立ち止まり、考え考えしてあるいたものでした。そして会社を辞めて、バイトをして、トモコさんのカフェで働き始めることになるのです。

人はみんな、この世界で何かの仕事をするために生まれてきたのだと思うのです。その仕事というのは、銀行口座にお金を振り込んでもらうための「手続き」とはまったく違うもので、私の心の形が、この世界の必要な部分と噛み合って、世界を少しだけよくしていく。ふかふかした大地に鍬を入れて、私の筋肉が大地をよくしていく、そんな仕事をするために、私たちは生まれてきたのだと思うのです。

寒くなりました。気を付けて。

マコ

2018年1月18日

人を幸せにする魔法

リコへ。

重大発表です。カフェの春メニューのラインナップを、今年もトモコさんから任されたのです!去年の新メニューが、本当に上手く行ったかどうか分からない。でも、変化し続ける、転がり続けることだけが取り柄の私は、この課題を与えられた時、希望こそ湧いても、決して尻込みする気持ちはありませんでした!

今度のメニューを考えるとき、私は『ペンキや』という絵本のことを思い出します。なんだか、大人に向けて書かれたような絵本です。主人公はペンキやの見習いで、なかなかペンキ塗りが上手にならない、でもある日、お父さんが使っていたペンキのはけ(そう、お父さんもペンキやさんだったのです)を見つける。それをベッドに置いて眠ると、ペンキやのお客の夢を見るのです。そうして、お客が口で注文した色とは違う、ほんとうに塗って欲しい色を教えてくれるような夢を見るのです。それで、ただ小ぎれいに生活したいと思い込んでいた夫人が、本当は自由に羽ばたきたいという夢を抱いていたことを発見する。だからペンキやの見習いは、お客の注文とは違ってベランダを明るい色で塗って、最初は夫人を当惑させますが、最終的には夫人の本当にしたいことを気づかせることになるのです。

私にもそんなはけがあったら。そう思います。みんなが本当に飲みたい飲み物、いいえ、そうではありません、「本当に過ごしたい時間」とは何なのかを教えてくれるはけ、それは何年も使い込まれた「心」そのものだということに、これを読んでいるリコなら、きっと気づいたはずでしょう。

マコより

2018年1月17日

かまくらとキャンドル

リコへ。

ダークグレイの空から雪が降り籠めて、雪を支配する重力のちからが、そのまま私たちの街を地底へ沈み込めていくような気がします。北の海の国では、こんな風に一日が過ぎていくのです。寒がりの私たちは、冬のあいだに家の中で出来ることをやる。茶碗を洗うおとやミシンのおと、そんな音が雪に染み込んでいって街は眠るように静かになる。松の枝にぶら下がっているのが耐えられなくなった雪玉が、ぱさっと落ちる音だけが通りに響くのです。

私は本を読んでいました。それはイギリスの童話作家が書いた半生の記録、とでもいうべきもので、姉と弟(この弟の方が後の童話作家なのですが)が、ナチスの飛行機爆撃のあいだ、どうやって防空壕で過ごしたか、疎開先でどのような自然を見たかが書かれていました。あとがきにある「私たちには、結局、耐えることしか与えられていないのだ」という文章が印象的でした。あの時代、世界中を覆った災厄。あの時代、どんなにか多くの人が戦争に反対しただろうに、戦争は止められなかった。結局私たちに与えられているのは、社会や自然の脅威に対して、しなやかに耐え抜いていくことでしかないのかも知れない。だからと言って、「私はあの時代が、自分にとって無駄な時間だったとは到底思えない。私は戦争によって、現実をより有意義に受け入れることを学んだのだから」。私はこの人のように、強くありたい、そう思いました。

リコ。防空壕のイメージから、ひとつ思い出したことがあります。昨日トモコさんと話していたのですが、こんなに雪が積もっては、いっそ雪を使って遊んでやるしかない、といい合ったのです。それで、私たちのカフェには窓が四つあるから、窓のところから手すりまでの植木鉢がおけるくらいのスペースに、小さなかまくらを四つ、作ってみようということになりました。中に熱くない電気のキャンドルを入れようよ。そしたら夜はきれいだろうな。なんて話をして。分厚く積もった雪の下に、人間が灯すキャンドルの光がある。私はそれを見るのが、今からとても待ち遠しいのです。

マコより

2018年1月16日

生きているとは旅をすること

一歩一歩、ゆっくりと踏み出す。踏み出すたびに、私の長靴は雪に埋ずもれる。はあ、はあって、白い息が小さくマフラーのまわりに浮かんでいる。私は雪の中にいる。両側の林は、クヌギのような雑木林で、枝の一本一本、幹の一つひとつが、冬の夜会服のように丸あるい雪を帯びている。あと少し。私は顔を上げました。



この前のお休みの前日、雪の積もった山を見ました。それはカフェからごく近く、いつでも見慣れていて、私の日常のルーティンの圏内にある山です。その日その山は、雪のせいで少し違って見えました。葉っぱを失った木々が、山肌から頼りのない幾つもの芽生えのように伸びていて、それに雪が被さると山は霞を帯びたような、雪のスプレーをかけられたような、一段とおくに立っているまぼろしになる。と、山の頂きがむき出しになって、すっかり白く、平地が出来ていることに気が付いたのです。あの雪の山の、頂上に立ったらどんな眺めだろう。私はぼんやり考えました。その日はそのまま日が暮れて、雪がむらさきに輝くような夜が来ました。そして家への帰り道、車を運転しながら、私は、ふと、あの山のことを思ったのです。そうだ、明日はあの山の、頂上の平地へ行ってみよう。そしたらどんな眺めだろう。日常の背景が旅の目的地になる。だって、生きているのは旅をすることなんですもの。

翌日の、まだ朝も動き出さないような時刻に、私は山の中にいました。予想していたとおり、積雪は街中の量と大して変わりはない。幸い林道がついていて、あまり危ないことをせずに先へ先へと進めました。朝日が雪の表面を撫でていって、雪をかぶったくま笹の、先から落ちるしずくを光らせました。

その輝きを受け取って、私はグラスの中で光る、カクテルの氷を思い出しました。私と同じ華道サークルだった先輩とふたり、夜の都会の景色を見ながら、それぞれのグラスを傾けていました。先輩は色っぽい口紅が、カクテルを飲んではグラスにつくので、その度にほそい指でぬぐいとっていました。女の私でも、その姿はかっこいいなと思ったものです。私たちはちょうど一か月前、先輩の卒業旅行という名目で、ふたりバリへ旅行に行ったのです。あまり大勢で行くことを好まない先輩が、相棒に選んだのが私だったということは、その時の私の自慢でもありました。バリは不思議な街で、土着の文化と観光業が構築した近代文化の融合した街でした。先輩はあまり「近代文化」の方を好まずに、昼に散歩に出かけてちょっと観光客のいかないような田んぼへ出て見たり、現地の人がいくような料理屋へいったりしていました。ほとんど赤道の真上にあるバリは、太陽が真上からまっすぐに射してきて、そのエネルギーで人も植物も、動物も、みんな生命のエネルギーに満ち溢れている様に思いました。その旅行を懐かしむ意味もあるのか、その一か月後、先輩は突然私を呼び出して、大都会の真ん中にある、たしか25階にあるダイニングバーへ連れて行ってくれたのです。
「秋さん(それが先輩の姓だったのです)、私バリに失恋したみたい」
「フフ。なによ、それ」
「え?だって、すごくすごく好きで、でももう一生会えないようで、これって失恋じゃないですか」
「ハハ、マコちゃん、面白い」
そのとき秋先輩はグラスを傾けながら、女でもドキッとするような流し目を使って言ったのです。
「バリはバリ。でもマコちゃんには今があるのよ。日常を日常だと思っちゃいけない。私たちは毎日、移動のない旅をしてるの。いろんなものに出会って、いろんなことを思って。生きているとは旅をすることなの」

そう。だから私は毎日を大事に生きていたい。もう少しで雪山の頂上へ辿り着ける。そこでどんな景色が待っているのか。この世界が私にくれるものを、いつも楽しみに待ちながら、私は生きていきたいと思うのです。

マコより

2018年1月15日

雪晴れって言ってみたい


リコへ。

一つながりの北の大陸から、雪の子が呼び集められて、風がさらってしまうようにして、雪はこの国へやってきます。北の海の街らしく、今はもう、白くないところを探す方がむずかしいというこの頃です。私の家の近く、四十間堀も全体が凍りついて、ゴルフ場のグリーンみたく、わずかに水のところが残っていて、そこにはカモが閉じ込められています。ご飯を食べる時はどうするのでしょう。寝る時は何を考えて眠るのでしょう。不思議です。

雪の夜が好きです。全体にぱあっと明るくなって、陸と空とがお互いを照らし合う。それは満月の夜みたいに、街を夜から浮かび上がらせるほどの明るさ。「雪晴れ」っていうのは、雪のあとの晴天のことなんだそうだけど、私はこんな夜を「雪晴れ」って言ってみたい。昼のあいだじゅう、大人しくしていた雪の子たちが、今かとばかり輝き出す。北極の圏内にある国の白い夜みたいに、この夜がずうっと続くように思う。大地は太陽を待たずおのずから光り出す。雪たちの晴れの舞台。それが「雪晴れ」なのです。

温かくして。首のところはぜったい。私はこれからホットワインを飲みます。

マコ