リコ。ガラスのような大気の結晶が、冬を私たちにささやきかける頃、寒がりの家系の私たちには、一つの辛い季節がやってきた訳です。仕事場から車へ移る時、また車から部屋へ移る時、そうすることはできないのだけれど、なるべく大気と触れあわないようにと思って急ぐ。体の芯に、寒さのくさびが到達する前に、私は先へ急ぐのです。
今日だって、カフェから駐車場まで歩くときはすごく寒かった。そうして十分か二十分か運転して、アパートの駐車場へ来る。そっと覚悟を決めてドアを開けると、なんと、心なしか寒さがぬるんでいるのを感じたのです。
空。空は曇天の灰色。分厚い雲が、空の蓋のようにずっしりと覆いかぶさっていた。さっきまで吹いていた風が止んで、大気は地面と雲との間に閉じ込められ、そこではまるで温室のように、昼のあいだに注がれた太陽のエネルギーが、大気の中に囲いこまれていた訳です。それは、僅かな温かさとなって、私の心をはっとさせました。私は天の作る大きな家の、中にいたのです。
簡単な気象学の知識が、私を天と太陽と、そして地面の広がりに結び付ける。そうして私は、私とこの世界の新しいつながりを見る。気象学、鉱物学、天文学、植物学。昔の賢者たちは、そういう学問を使って、我とこの世界との距離を測った。それはきっと、世界を生まれた時とは違う様相で見せてくれる、魔力をもったレンズだったのでしょう。この世界に隠された宝石を探し求めるために、私はそんなレンズをいくつも集めていきたい。そう、本当にそれが、大事なことなのです。
マコ
2017年12月13日
2017年12月9日
雪のかがやき
リコ。もう随分さむくなりました。アパートの駐車場へ車をとめて空を見上げると、空を覆う大気が結晶化して、キラ、キラ、とまたたくように思います。それはレースのように柔らかな織りの、ガラスで出来た自然のシャンデリアのように。飾り付けられた夜の観劇場で、私はある思い出を夢見ました。
それはまだ、私たちがうんと小さかった頃のことです。お父さんの発案で、隣街の高い山へ車で行って見ることにしたのです。季節はちょうど今くらい。私たちの街からも、その高い山は天気の良い日は見えました。もう、冬のことで、そのときその山は白く色づいていました。父は私たちに、一足早く雪の世界を見せたかったのだと思います。私たち家族はーお父さんとお母さん、それにリコと私はー完全な冬支度を整えて、車にはチェーンを巻いて、山へ出かけました。
その頃はまだ、雪が沢山降りました。北の海の街らしく、雲はどっさり雪を運んできてくれたのです。山の中腹の公園へ降りると、もう腰まで雪に埋もれてしまう。落葉しきった木々の姿は、魔女の細い指先か焼き芋のあとの細いけむりの幾筋かのように見えて、そこへ一つ、一つ、丸い雪のお団子を誰かが置いていったみたいに見えました。雪のうえに、小さな動物の足あとが、森の奥深くまで続いていて、私たちはリス、とかネコ。それかキツネと話し合ったのでした。そこでお父さんとお母さんはコーヒーを飲んだり、私たちはココアを飲んだり、脚のつまさきが少ししびれてくるまで、雪の世界の中で静かな空気を吸い込んだり吐き出したりしていたのでしたね。
それはまるで、きらきら輝く雪の夢。今だってなつかしく思い出すことが出来るのです。さて、ご飯をつくって暖かくして、今日も夢の世界へいくことにします。またね。
マコ
それはまだ、私たちがうんと小さかった頃のことです。お父さんの発案で、隣街の高い山へ車で行って見ることにしたのです。季節はちょうど今くらい。私たちの街からも、その高い山は天気の良い日は見えました。もう、冬のことで、そのときその山は白く色づいていました。父は私たちに、一足早く雪の世界を見せたかったのだと思います。私たち家族はーお父さんとお母さん、それにリコと私はー完全な冬支度を整えて、車にはチェーンを巻いて、山へ出かけました。
その頃はまだ、雪が沢山降りました。北の海の街らしく、雲はどっさり雪を運んできてくれたのです。山の中腹の公園へ降りると、もう腰まで雪に埋もれてしまう。落葉しきった木々の姿は、魔女の細い指先か焼き芋のあとの細いけむりの幾筋かのように見えて、そこへ一つ、一つ、丸い雪のお団子を誰かが置いていったみたいに見えました。雪のうえに、小さな動物の足あとが、森の奥深くまで続いていて、私たちはリス、とかネコ。それかキツネと話し合ったのでした。そこでお父さんとお母さんはコーヒーを飲んだり、私たちはココアを飲んだり、脚のつまさきが少ししびれてくるまで、雪の世界の中で静かな空気を吸い込んだり吐き出したりしていたのでしたね。
それはまるで、きらきら輝く雪の夢。今だってなつかしく思い出すことが出来るのです。さて、ご飯をつくって暖かくして、今日も夢の世界へいくことにします。またね。
マコ
2017年12月7日
傘をかしげて
リコへ。突然ですがここで一句。
雨傘を かしげてよける 女学生
この街の冬は一歩一歩近づいて、最近ではときどき霙も降るような空模様。今日も冷たい雨がしと、しと、とふっていました。朝、私が車を運転していると、高校生の女の子が、左手には電柱、右手には停車中の車で、立ち往生していたのです。そうして、女の子はそっと傘を電柱も自動車もない空間に傾けて、そこを通り抜けていったのです。その手首のなめらさか、楚々とした感じがとてもよかったので、後で思い出して一句作ってみたのです。
それをトモコさんに言ってみたら、でも季語が雨傘だと、梅雨じゃない?との評語。ああそうか、と私は気づいて冬の歌を作ろうとしてみました。
雨寒し 傘をかしげる 女学生
なんだかこれじゃ、動きがなくてつまらない。じゃあこれは?
寒空に 傘差しあげて 渡る人
なんだか説明しすぎてつまらない。
私はこのあと、三つ、四つの歌をひねってみたのですが、やっぱり最初のが一番いい気がしました。季語はありませんけれど。大昔の貴族たちは、「曲水の宴」(リコは知っているでしょう。庭に配された川のほとりに各々が場所をかまえて、流れてくる盃が自分の前にやってくるまでに歌を詠むという遊び)でこんな風に悩んだのでしょうか。貴族たちの気持ちが、少し分かったような一日でした。
それじゃあ、暖かくして、風邪には気をつけて。
マコ
雨傘を かしげてよける 女学生
この街の冬は一歩一歩近づいて、最近ではときどき霙も降るような空模様。今日も冷たい雨がしと、しと、とふっていました。朝、私が車を運転していると、高校生の女の子が、左手には電柱、右手には停車中の車で、立ち往生していたのです。そうして、女の子はそっと傘を電柱も自動車もない空間に傾けて、そこを通り抜けていったのです。その手首のなめらさか、楚々とした感じがとてもよかったので、後で思い出して一句作ってみたのです。
それをトモコさんに言ってみたら、でも季語が雨傘だと、梅雨じゃない?との評語。ああそうか、と私は気づいて冬の歌を作ろうとしてみました。
雨寒し 傘をかしげる 女学生
なんだかこれじゃ、動きがなくてつまらない。じゃあこれは?
寒空に 傘差しあげて 渡る人
なんだか説明しすぎてつまらない。
私はこのあと、三つ、四つの歌をひねってみたのですが、やっぱり最初のが一番いい気がしました。季語はありませんけれど。大昔の貴族たちは、「曲水の宴」(リコは知っているでしょう。庭に配された川のほとりに各々が場所をかまえて、流れてくる盃が自分の前にやってくるまでに歌を詠むという遊び)でこんな風に悩んだのでしょうか。貴族たちの気持ちが、少し分かったような一日でした。
それじゃあ、暖かくして、風邪には気をつけて。
マコ
2017年12月3日
空の変わりやすさについて
リコ。私、大切な忘れ物をしていたのです。最近妙に寂しいなあと思っていたら、それは冷たい秋の風が、私の耳元を切なく吹きすさぶからではなく、大事な忘れ物をしていたからだったのです。大切な忘れ物、それはリコへの手紙です!年末の忙しさにかまけて、私はリコへ手紙を書くことを忘れていたのです!
リコへ手紙を書くことは、日常とは違う、もう一つのコミュニティ(つまり私とリコの姉妹っていう)を持つということなのです。例えば日常がダメな日でも、もう一つのコミュニティがあるという具合に、それは私にとって良い効果をもたらすのです。リコへ手紙を書くことによって、書いている私自身が癒されていると言えるのでしょう。
そうそう。最近思うことがありました。それは空の変わりやすさについて。神様は人間と鉱物と植物に、重力という足かせを課した。だから私たちは、地表面の狭いところ、人間なら海抜3メートルくらいまで、植物でも海抜15メートルくらいまでの層にちじかまっているのです。それと比べると、空の高さは何千倍もある。もし人間の目を離れるとしたら、世界の中心は地上にではなく、空の中心点にあるといってもいいでしょう。そして空は、重力からほとんど自由になった、気体と水蒸気の世界。気体と水蒸気が一日のうちに様相をがらりと変えてしまうことはあっても、液体と固体で出来た私たち人間が、一日の内に様相をがらりと変えるということはない。私たちが全く変態してしまうまでには、何十年とかかる。それが空では一瞬のうちに行われる。鳥のつばさのように広がった雲。霞みがかった雲。遠くで雨を降り注いで、地表にもたれ掛かって来る雲。雨。あられ。霧。虹。それに地球の自転という運動によって、空は一日の間に朝日から昼、昼から夕日へと移ろっていく。だから、空をみていると飽きるということがありません。熱と風、自転と水蒸気が織りなすイリュージョンを、いつまででも眺めていることが出来るのです。
昔の人々はそれを、歌に詠んだのでしょうね。
マコ
リコへ手紙を書くことは、日常とは違う、もう一つのコミュニティ(つまり私とリコの姉妹っていう)を持つということなのです。例えば日常がダメな日でも、もう一つのコミュニティがあるという具合に、それは私にとって良い効果をもたらすのです。リコへ手紙を書くことによって、書いている私自身が癒されていると言えるのでしょう。
そうそう。最近思うことがありました。それは空の変わりやすさについて。神様は人間と鉱物と植物に、重力という足かせを課した。だから私たちは、地表面の狭いところ、人間なら海抜3メートルくらいまで、植物でも海抜15メートルくらいまでの層にちじかまっているのです。それと比べると、空の高さは何千倍もある。もし人間の目を離れるとしたら、世界の中心は地上にではなく、空の中心点にあるといってもいいでしょう。そして空は、重力からほとんど自由になった、気体と水蒸気の世界。気体と水蒸気が一日のうちに様相をがらりと変えてしまうことはあっても、液体と固体で出来た私たち人間が、一日の内に様相をがらりと変えるということはない。私たちが全く変態してしまうまでには、何十年とかかる。それが空では一瞬のうちに行われる。鳥のつばさのように広がった雲。霞みがかった雲。遠くで雨を降り注いで、地表にもたれ掛かって来る雲。雨。あられ。霧。虹。それに地球の自転という運動によって、空は一日の間に朝日から昼、昼から夕日へと移ろっていく。だから、空をみていると飽きるということがありません。熱と風、自転と水蒸気が織りなすイリュージョンを、いつまででも眺めていることが出来るのです。
昔の人々はそれを、歌に詠んだのでしょうね。
マコ
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