2017年8月30日
決して大きなことではなく
北の国が私たちの国を越えて、ミサイルを打ち上げました。このことが昨日、ずっと私の頭の中にこびりついていたのです。その思いはトモコさんも同じで、私たちは閉店後、ずっとその話をしていたのです。
ミサイルが発射されてから地面に到達するまで、時間としては十分とかからない。その間に事実を知り、避難場所を考え、そこまで移動する、ということが本当に出来るのでしょうか。それは、ほとんど百パーセントに近い人にとって不可能なことでしょう。私たちは確定的な危険を突き付けられている。辛うじて冷静に眺めていられるのは、「核の傘」に守られていると思えるから。ふだん、あんなに忌まわしく思う「核の傘」をありがたく思う。なんて無様な姿なのでしょうね。
これから先、私たちはこんな時代を生きていかなきゃいけない。いつも視界のはじっこの方に、黒い、死の影を認めながら。ふと気を抜くとき、あるいは何か不穏なニュースが報じられるとき、その黒い影は油を注がれた焚き火のように、私たちの視界全体を覆ってしまう。いつか生活そのものが、脅威にとって代わられる。
でも私たちは負けちゃいけない。私たちが生きているのは、いつかくるかもしれない未来ではなく、現在だから。私たちが生きているのは、特定できないどこかではなく、この場所だから。大事なことはいつも、半径一メートルの中で起こっているのです。その圏のなかで、ミサイルの脅威よりも見るべき美しいものがあるし、聞くべき嬉しい声もある。たとえば白い、可愛い花々。小さな子どもたちの楽しそうな笑い声。夕雲の、赤と灰のグラデーション。たとえ黒い影が、急速にその速度をあげて迫って来るにしても、私たちの生活は、それを乗り越えるだけの空間(スペース)の拡がりをもっている。それを、この世界への愛で満たさなければならない。世界を愛さなければならない。だから、私は珈琲を淹れ続ける。お客の日常のちょっとした隙間を、美味しい香りと芳ばしい味で満たすために。
政治に期待できるのかどうか、私には分かりません。ただ、日常だけが確かに私たちの豊かさをつくりだしているのです。
じゃあ、またね。
マコ
2017年8月23日
晩夏雑記
リコ。春先に生まれた子猫たちが、彼らの人生を前に進めて、精悍とした首すじの快い、頼もしい若猫たちになりました。公園の棕櫚の陰、屋敷の塀の上に、今日も小さな放浪者たちが独り、足を忍ばせているのです。
今日はお盆に行ったお墓参りの話をしましょう。(リコも知っているとおり)私たちのお墓は市が運営する共同墓地にあります。草木を全部刈った丘陵の上へ、数千の墓標が、まるで等高線のように、また村の寄合の車座のように、立ち並んでいるのです。丘陵の尖端には「戦没者慰霊碑」と小さな東屋があって、私たちの水うみと街が、はるかに見下ろせるのです。
あまり行かれないお墓参りで、私たちは墓石を洗ったり草を抜いたり、ひとしきりの作業をしたあとで、お花を生け、線香をあげて、亡き人へ礼をたむけたのです。お墓の下には、リコの小さな白い骨が埋まっているにも関わらず、リコ、私はリコがそこにいるような感じはしないのです。私の感じによると、リコはもっと奥深く誰も知らない森の中に、雨になって降っているとか、そうでなければ星と星のあいだにあったり、また、私の心の中の深淵にいたりするような気がするのです。
お参りがおわると、お母さんがもってきた水筒をもって、私たちは山頂の東屋で休憩をとりました。丘陵のふもとからこちらまで、墓標の列が何段も見えました。それは顔のないフルート吹きたちのように、静かに笛を吹いているように見えました。笛の音のかわりに、金属的で涼やかな風が、草を揺らし、お墓のうしろに立っている卒塔婆をゆらし、こちらまで吹きそよいできました。墓地という死の集合体にもかかわらず、彼らが私を悲しい気持ちにさせることはありませんでした。むしろ、どこかにある遺跡が私たちに感じさせるように、懐かしい、永遠に思い出される人間の生きた名残りを私は感じたのです。
お盆に、二つの悲劇的な日付、そして終戦紀念日。私たちが最も死者に近づく夏の日でさえ、死は私にとって恐いものではない、すくなくとも理解不可能なものではない、ということを私は思いました。おそらく私たちは、長い間「死」の世界にいて、ときどき思い出したように、「生」の世界に生まれ出てくる。そこで肉体をもつことでしか得られない、様々な体験を重ね、また永い「死」の世界へと戻っていく。だから死とは、全ての人々にとっての故郷なのです。そう思って、私は自分が、死をそんなにも恐れていないということを感じました。そう考えることが出来たなら、人間の大きな苦悩のひとつが、いくらか軽くなるのでしょう。
ひとつ問題があります。たとえ死が、本来人間にとってあまり遠くにあるものでないにせよ、人の「死に方」は、その人を多いに苦しめることがあるのだということです。死の前にある痛み、そして死ななければならない理由(あるいはその理由のなさ)によって。痛みは、その当事者にしか分からないことだし、外からの者があれこれと評価するものではないにしても、人は痛みには苦しむより他に道はないし、痛みそのものによって死ぬことはないのです(私はそのことを、昨年ガンによって亡くなった私たちの叔父さんから学びました)。最も人を苦しめるのは、理由なのかも知れません。死の瞬間にあって、もしその人が自分の死を意識できるとしたら、「なぜこんなことで自分が死ななければならないのか」、「なぜ何の咎もなく、私が死ななければならないのか」という思いは、大きくその人を苦しめるのだと思います。
そう、私たちを苦しめるのは、理解できない死なのです。折しも共同墓地の山頂からは、この街を照らしながら、落ちていく夕日が見えました。あの赤い空の向こうに、今日もいくつもの「理解できない死」が生まれては消えていく。あの赤い空の向こうで、また「理解できない死」を量産するための準備が進められている。この赤い空の下で、それを抑止するための、殺人的な準備が進められながら。
盂蘭盆会を過ぎて。
マコ
2017年8月7日
空は笑いはしない
マッチ売りの少女がちいさな灯りに最後の夢を見てたとき、空は彼女に笑いかけたのでしょうか。いいえ。空は笑いはしない。空は、徹底した、冷酷な吹雪を、彼女に吹きつけた。彼女は守られなかった。ただ彼女のスカーフに転がったままの雪だけが、かわいい花の紋様によって、彼女の夢をふちどっていたのです。
幾世代か前の昨日とそしてあさって、空は高熱の閃光そのものになって、あの人たちの上に降り注いだのです。そう。空は笑いはしない、決して。今その兵器は世界中にあふれ、今しも空の制圧権をめぐって、歴史の巨人と新興の挑戦者が争っている。私たちはその空の下に生きている。毎日を大事に、大事に。それがすぐに溶けるような、ちいさな雪の結晶のようだとしても。
リコ。なぜ私たちはこんなに弱く生まれてきたのでしょうね。それなのになぜ、こんなにも強く生命を想うのでしょうね。
盂蘭盆会の前に。
マコ