リコ。またしてもずいぶん書きませんでした。うちのカフェの新メニューの研究はいよいよ大詰め。手紙の筆をとる機会も、ありませんでした。いえ、それも私の怠慢だというだけの話ですね。
精神と体を二つに分けて、精神も体だということを忘れがちです。何を言っているかというと、春メニューのことで散々根つめていた私は、働き過ぎて頭がクラクラになったのです。そこで休みたくなるのは意欲の問題と片付けてしまいそうになって、初めて気がついたのです。精神だって、使ったら疲れるよ。筋肉痛みたいに。
そう思うとすべてが楽になります。そうだ。走ろう。全然頭を使わなくていいように。そして私は、夜のランニングに出かけたのです。この街の灯りに対する感受性については、いつか話ましたね。夜に映えるオレンジのランプや、場所によってはガス灯。それらが一列に並んで、夜の街はまるで、一つのサーカス隊のようなのです。真っ暗な天幕にキラキラと宝石を散りばめて、その夜を長い夜にする、一団のサーカス隊です。だからランニングは楽しかったと言わなければなりません。
私はこの街を北と南に分けている、大きな川の上に来ました。ここに掛かる橋には、本物のガスランプで出来た行灯が設えてあります。そのゆらゆら揺れる火影に照らされて、海がありました。リコも知っているとおり、この街の水うみはその大きな川によって外洋とつながっているのです。だから、塩分の関係なのか潮目の関係なのか、水うみと川を分かつ境界線では、水面が海のようにうねっていました。その上を渡る。まるで船に乗って、波の中をかき分けているような気がしました。夜の水の、そのうねりは、少しの恐怖とたくさんの冒険心をくすぐります。私は一時、航海へ出たのです。
このようにして、夜の街はサーカス隊や大洋を渡る船になる。それは想像の力というものです。ここで思い出しておかなければならないのが、私たちには「本の小部屋」があったということ。この点、お母さんとお父さんは賢明だったと言わなければなりません。そう思いませんか。その「本の小部屋」には、たくさんの本があって、雨が降ったり、なんだか外で遊びたくない日には、私たちは小部屋で本を眺めていましたね。私たちの年齢に合わせて、絵本が多かった。中でも、仲良しのネズミが大きな卵を見つけてホットケーキを作るお話は、二人とも大好きで何度も読み返しましたね。私たちは絵本から、何を学んだでしょう。それは、目を養うこと。冷たい現実の中から、いつでも暖かい夢へ旅に出ることが出来るということ。いつか出会うだろうたくさんの辛いことの中でも、その夢の実在を信じられること。お母さんとお父さんが私たちに対してやったことは、それを本を通じて教えてくれることだったと思うのです。こういうことは、言葉でいったって伝わりませんからね。本の、想像の世界が私たちに教えてくれたのです。目を養うこと。その大切さに、今更ながらはっとさせられています。
それじゃあ、また。
マコ