2017年12月7日

傘をかしげて

リコへ。突然ですがここで一句。

雨傘を かしげてよける 女学生

この街の冬は一歩一歩近づいて、最近ではときどき霙も降るような空模様。今日も冷たい雨がしと、しと、とふっていました。朝、私が車を運転していると、高校生の女の子が、左手には電柱、右手には停車中の車で、立ち往生していたのです。そうして、女の子はそっと傘を電柱も自動車もない空間に傾けて、そこを通り抜けていったのです。その手首のなめらさか、楚々とした感じがとてもよかったので、後で思い出して一句作ってみたのです。

それをトモコさんに言ってみたら、でも季語が雨傘だと、梅雨じゃない?との評語。ああそうか、と私は気づいて冬の歌を作ろうとしてみました。

雨寒し 傘をかしげる 女学生

なんだかこれじゃ、動きがなくてつまらない。じゃあこれは?

寒空に 傘差しあげて 渡る人

なんだか説明しすぎてつまらない。

私はこのあと、三つ、四つの歌をひねってみたのですが、やっぱり最初のが一番いい気がしました。季語はありませんけれど。大昔の貴族たちは、「曲水の宴」(リコは知っているでしょう。庭に配された川のほとりに各々が場所をかまえて、流れてくる盃が自分の前にやってくるまでに歌を詠むという遊び)でこんな風に悩んだのでしょうか。貴族たちの気持ちが、少し分かったような一日でした。

それじゃあ、暖かくして、風邪には気をつけて。

マコ

2017年12月3日

空の変わりやすさについて

リコ。私、大切な忘れ物をしていたのです。最近妙に寂しいなあと思っていたら、それは冷たい秋の風が、私の耳元を切なく吹きすさぶからではなく、大事な忘れ物をしていたからだったのです。大切な忘れ物、それはリコへの手紙です!年末の忙しさにかまけて、私はリコへ手紙を書くことを忘れていたのです!

リコへ手紙を書くことは、日常とは違う、もう一つのコミュニティ(つまり私とリコの姉妹っていう)を持つということなのです。例えば日常がダメな日でも、もう一つのコミュニティがあるという具合に、それは私にとって良い効果をもたらすのです。リコへ手紙を書くことによって、書いている私自身が癒されていると言えるのでしょう。

そうそう。最近思うことがありました。それは空の変わりやすさについて。神様は人間と鉱物と植物に、重力という足かせを課した。だから私たちは、地表面の狭いところ、人間なら海抜3メートルくらいまで、植物でも海抜15メートルくらいまでの層にちじかまっているのです。それと比べると、空の高さは何千倍もある。もし人間の目を離れるとしたら、世界の中心は地上にではなく、空の中心点にあるといってもいいでしょう。そして空は、重力からほとんど自由になった、気体と水蒸気の世界。気体と水蒸気が一日のうちに様相をがらりと変えてしまうことはあっても、液体と固体で出来た私たち人間が、一日の内に様相をがらりと変えるということはない。私たちが全く変態してしまうまでには、何十年とかかる。それが空では一瞬のうちに行われる。鳥のつばさのように広がった雲。霞みがかった雲。遠くで雨を降り注いで、地表にもたれ掛かって来る雲。雨。あられ。霧。虹。それに地球の自転という運動によって、空は一日の間に朝日から昼、昼から夕日へと移ろっていく。だから、空をみていると飽きるということがありません。熱と風、自転と水蒸気が織りなすイリュージョンを、いつまででも眺めていることが出来るのです。

昔の人々はそれを、歌に詠んだのでしょうね。

マコ


2017年11月14日

いいえ。これからも。

リコ。リコへ宛てた手紙も、一年が過ぎ、リコの見ることのなかった世界を私がリコに伝えるという目的も、おおかた達成できたのではないかと思っています。この世界は醜いけれど、嫌いにはなれない、そんなことを書いてきたつもりです。私の見解からして、人生とは、人間とは、六十点です。ほとんど半分は点もやれない、けれど半分より少しだけ、いいものをもってる。そういう結論に達したから、もうここで止めてもいいのかも知れないな、と思います。私は手紙を書くことを、止めるでしょうか。

いいえ。これからも。私は書き続けるでしょう。こうして手紙を重ね、幾年も過ぎていく。やがて人間が滅んで、電子機械のインフラストラクチャーだけが残る。そこに誰かが来て、この手紙を解読してくれる。この星には人間という種がいて、それはダメなところもあったけれど、結構面白い生き物だった。そう思ってもらえるかも知れないと考えると、もう少し手紙を書いてもいいのかな、なんて思います。

この世界に眠る、驚きの原石を集めながら。

マコ

2017年11月13日

人の手の及ばないもの

リコ。なぜ夕焼けは綺麗なのでしょう。今日はカフェのお客さんが途切れるたびに、沸き立つケトルの水蒸気の中で考えていました。

だって、太陽そのものが美しい訳じゃない。ひまわりの咲く、真夏のアスファルトの坂の上か、熱い砂の海岸ででもなければ、ほとんどの人が南中している太陽を美しいとは感じないでしょう。それなら色?赤い色はより人間に好まれるのでしょうか。でも赤い照明を使った舞台照明が、必ずしも人を感動させるとは限らない。いいえ。と私は、カップを拭く手を止めて考えたのです。夕焼けの色合いは単色ではない。まるで十二単のように、藍から朱、黄に至る色の重なり。これなら人間が好きになる理由も分かる気がします。

しかし私はさらに考えを進めました。南中する太陽と西の空に沈む太陽の違いとは、変化の量なのではないか、と。南中する太陽は、私たちの頭の上でさんさんと輝いているだけです。一方夕焼けは、太陽、山の稜線、西の空にたなびく雲々、早くも輝きだした月そして星、赤く染め上げられた野山の植物、そして私たち。夕日はすべてを変化させます。それは、人の手の及ばない大きなものの営みが、一どきに感じられる瞬間なのです。そうして私たちは思う。私たちは人間界に住んでいるんじゃなくて、地球の上に住んでいる。そんなことを感じるがゆえに、私たちは夕焼けを愛するのかも知れない。

マコ

2017年11月10日

私たちの美しさについて

リコ。私たちは美しい存在ではない。全くの逆で、汚らしい、愚かな、とるに足らない存在です。もしそうでなければ、なんで飢えている人を知りながら、笑って食事をしていられるのか。もしそうでなければ、なんで人を嫌い、その人に災厄が降りかかった時に、しめたものだと思うのか。もしそうでなければ・・・・・・。例をあげれば切りがない。私たちの世界は、平穏とは真逆の世界なのです。

その中でもあるときだけ、世界の人々が美しくなるときが来る。それは真赤な大きな夕焼けのとき。私たちは手もとの仕事をやめて、その大きな夕日を眺める。その瞬間、この国中のたくさんの人がたくさんの場所で、同じ一点を見つめている。自然なるものに感情を動かされる繊細な心のはたらきは、美しい。それをたくさんの人がもっているということも、美しい。そうして美しいすべての魂は、夕日によって赤く照らされる。そのとき人々は、山々と雲と、ビルと水平線と同じに、一つの夕焼けの風景になる。

私たちの美しさは、このようにして、恩寵のように現れるのです。その美しさを、この命が終わるまでに、いくつも見つけてみたい。それが私の願いです。

マコ

2017年11月9日

カレンのこと

リコ。私には、リコの知らない友達がいます。それはカレン。学生の時から、いつも何か、心の中をにらんでいる、意思の強い子。食費をけずって(それはもう、女の子のくせに仙人みたいで、三日間くらい絶食するのです)ときたま旅に出る。アジア、アフリカ、ヨーロッパ。なんでかアメリカと南米はいったことがない。カレンはそのまま外国語の名前になるから、旅先ではすぐに友達が出来るみたい。ノルウェーやフィンランドでは、カリン、なんて呼ばれたりもするらしいの。旅先から帰ってくると、こっちではやっぱり旅に関わる仕事をする。そう、フリーの観光ガイド。いろんな協会に登録していて、けっこう人気があるみたい。カレンはいろんな国に行くから、世界中のお客さんのウケがいい。それで、カレンをガイドに雇った会社は口コミで客が増える、というのがもっぱら業界の評判(噂?)という訳。

それでときどき、カレンは私に手紙を書きます。その土地で買った絵葉書も同封されているのだけれど、ただ絵を見せたいだけみたいで、そこには何も書かない。別に便箋でまとまった長さの文章を書いてよこしてくれる。例えば、こんな風に。

マコ、私はいま地中海のほとり。Mediー中ーterraー大地ーneanなんていうけれど、これは全くの海。今日の昼に、そのメディ・テラ・ニアン・シーの海岸を散歩したんだけれど、それが凄かった。両側に、ほとんど視界をさえぎるものがなくてね、180度、海が見えた。そしたらその海って丸いんだ。そう、水平線は曲がっている。エラトステネスのいったとおりに、地球が丸いことが目で見て分かるんだ。そうするとね、ああ、自分は街の中にいるんじゃなくて、地球の上にいるんだって思う。そう思う時の沸き上がる気持ち、マコにあげたい。右手に少し突き出した陸地があって、そこには真っ白い風力発電機が回ってる。それが回転するのが、抜けるような青空の中でみごとに映える。私の頭の中では、メディ・テラ・ニアン・シーの反対側、古代アレクサンドリアで海を見たエラトステネスと、21世紀の新しい造形が二つで一つになる。人間の生きて来た歴史をたっぷり吸収してしまうほど、目の前のメディ・テラ・ニアン・スィーは漫々たる水量をたたえる。

なんて。手紙の中に手紙。マトリョーシカ式に書いてみました。リコには言わなかったけれど、カレンの手紙に私は結構救われている。毎日の繰り返しの中にいると、世界が一つの形しかとらないものだと無意識に思ってしまう(それが行き過ぎると、その世界に絶望して、自殺をしたりする)。 カレンは私の代わりに世界中を飛び回って、目の前にあるものだけが世界の全部ではないのだ、ということを私に分らせてくれる。それってすごく、私には大事なことなのです。

じゃあ、またね。

マコ

2017年11月8日

おかえりなさいの言葉

今日は明るい月が出ていました。目を月の円形に合わせると、光の一筋がこちらまで長く伸びてくるくらい。空の高いところに雲が浮いていて、そこだけは灰色く、けぶっている。こんな日は、ぐさぐさの心も丸くなる。この社会の中で、いつも「選ばれる側」に立たされ、戦わなければならない人々の心を丸くする。

本当の家へ帰って来たということを知らせるために、月はおかえりなさいを言う。

たぶん、そんな気がする。

マコ